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「近く、わたしは死を迎えるであろう」 瀬戸内寂聴さんが遺した最後の小説

あこがれ

 2021年11月9日に99歳で亡くなった、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん。

 没後1年となる今月、映画「あちらにいる鬼」が公開された。原作は、寂聴さん、作家の井上光晴さん、その妻の3人の特別な関係を、夫妻の長女である井上荒野さんが綴った小説『あちらにいる鬼』

 そのドラマチックな人生と、寂聴さんが遺した言葉は、いまも多くの人の関心を集めている。今年9月に寂聴さんの遺作として刊行された『あこがれ』(新潮社)は、自伝的な掌篇小説集だ。

 妻子を置いて行方不明になった祖父を想う「遭いたい人」、66歳で他界した姉に語りかける「はらから」、飛行機で来世に到着した「星座のひとつ」......。ハアちゃんと呼ばれた幼少期から99歳までの自らを描いた17篇を収録している。

――そうか、もう、あっちにいるのか。この飛行機は、棲み馴れたあの世から、これから生きていくこの世に着いたということか――。まだ見ぬ海の向こう、未知への眼差しが、小説家としての原点となった。(本書帯より)

4歳のハアちゃんの想い出

 生家のすぐそばに、大阪と徳島をつなぐ連絡船の発着所があった。白くてさほど大きくない連絡船は、朝早く港に着き、夜遅く大阪へ向けて出発する。

 船の発着を知らせる「大きなさけび声」が町の隅々まで響き渡る。それを聞いた旅人が「間の抜けた顔」でおどろくのが、4歳のハアちゃんには面白くてたまらなかった。

 父は時々、この船に乗って出かけていった。兵庫にいるお婆ちゃんを見舞うのと、仕事の打ち合わせのための旅といっていた。「旅」という言葉を覚えたハアちゃんは、姉と母につきまとい、旅について訊きたがった。

 「ここと、ちがう所へ行くことや」「どして、いくのん?」「そこに用事があるけんや」「そんで、よそへいったら、なにがあるん?」「ここと全然ちがう町があって、全然ちがう人がおるんよ」「うちも、いきたい!」――。

 船や汽車に乗り、ここではない所へ行くことを「旅」という。それを知って以来、まだ見ぬよその土地や町に憧れるようになった。ある夜、母と港へ行き、父が乗った船の出航を見送った。大勢集った人々、電球をまぶしいほどつけた船、「ヴォー」と鳴る汽笛に、ハアちゃんはどきどきしてきた。

 「未知へのあこがれ。その時のわたしは、そんなことばも知らなかった。けれどもそれから生きのびて、九十六歳にもなったわたしに、生きる未知へのあこがれをしっかりと植えつけてくれたのは、あの夜だったと確信している」(「あこがれ」より)

99歳で着いた「この世」

 「人の何倍か、この世の快楽も憂さも、味い尽しました」――。そんな人生の旅が終わりを迎えようとしていた。99歳の時に書かれた「星座のひとつ」が印象的だ。

 寂聴さんが乗っていたのは、「棲み馴れたあの世」発、「これから生きていくこの世」行きの飛行機だった。ちなみに、ここでは「あの世」と「この世」のイメージが入れ替わっている。早く降りろとせかされ、慌てて機体から飛び出すと、背後でドアが閉まった。

 早くも「あの世」がなつかしく、涙が出そうになる。「両親もたったひとりの姉も、どこへ行けば逢えるのか」「この名も知らぬ星でひとりで食べてゆけるのだろうか」と考える一方、若々しい力がみなぎってきて「恋の一つもしてやろうかな」とたくらんだりもする。

 「この世」で生きていくことへの戸惑いと好奇心。そして4歳のハアちゃんと同じ「未知へのあこがれ」を抱き、寂聴さんはいまも旅を続けているのかもしれない。

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 何年も前の出来事を、なぜこんなふうに、あたかも目の前に広がる光景のように生き生きと書けるのだろうか。もういない人たちにいのちが吹き込まれて、表情が見え、声が聞こえるようだった。

 ハアちゃんだった頃、瀬戸内晴美だった頃、そして瀬戸内寂聴になってから。99年間の人生を原点からたどる本書は、寂聴さんを改めてじっくり知ることができる貴重な1冊。

 「ここに書いてきたすべての人はとうに死んでしまった。ひとりもいない。(中略)近く、おそらく予想しているより近く、わたしは死を迎えるであろう。(中略)肉体が亡くなったら、こうした人の想い出どもは、どこへ行くのであろうか」(「父と母」より)

■瀬戸内寂聴さんプロフィール
 1922年、徳島県生れ。東京女子大学卒。1957年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞、1961年『田村俊子』で田村俊子賞、1963年『夏の終り』で女流文学賞を受賞。1973年11月14日平泉中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。1992年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、1996年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で野間文芸賞、2011年に『風景』で泉鏡花文学賞、2018年『句集 ひとり』で星野立子賞を受賞。2006年、文化勲章を受章。著書に『比叡』『かの子撩乱』『美は乱調にあり』『青鞜』『現代語訳 源氏物語』『秘花』『爛』『わかれ』『いのち』『私解説 ペン一本で生きてきた』など多数。2001年より『瀬戸内寂聴全集』(第一期全20巻)が刊行され、2022年に同全集第二期(全5巻)が完結。2021年11月9日99歳で逝去。




 


  • 書名 あこがれ
  • 監修・編集・著者名瀬戸内 寂聴 著
  • 出版社名新潮社
  • 出版年月日2022年9月30日
  • 定価1,650円(税込)
  • 判型・ページ数四六判変型・158ページ
  • ISBN9784103112297

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