新型コロナウイルスの感染拡大により、客が激減した温泉の取り組みを紹介するニュース映像には、しばしば旅館のおかみさんたちが出てくる。また、旅とグルメの番組には、約束事のように和服を着たおかみの姿が登場する。本書「旅館おかみの誕生」(藤原書店)は、そうした旅館おかみのイメージがどのようにつくられたかを明らかにした本である。
著者の後藤知美さんは、筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻修了。埼玉県職員などを経て、現在、独立行政法人国立文化財機構文化財防災センター(東京文化財研究所)研究員。本書は博士(文学)論文を基に全面的に書き直した学術書だが、わかりやすく書かれている。
旅館のおかみのイメージは、「旅館の格や個性、もてなしの細やかさを表現する存在、旅館の歴史・伝統の深さを伝える存在として、上質な和服を着こなし生け花や茶の湯などの日本の古典的教養を身に着けた女性」というものだが、メディアを通してつくられたものだと指摘する。
しかし、そうしたイメージが一般に共有されるようになったのは比較的最近のことで、昭和50年代のことだという。新聞や雑誌の分析により、「おかみ」像の変化を探るとともに、フィールドワークを通して、その内実に迫っている。
本書の構成は以下の通り。
序章 旅館営業の歴史と「おかみ」 第1章 「おかみ」前史 第2章 「おかみ」の誕生 第3章 「おかみ」イメージのゆくえ 第4章 イメージと現場の相克 第5章 旅館の女主人から「おかみ」へ 第6章 「おかみ」の選択と創造 終章 「旅館おかみ」とは
本来「じょ(ぢょ)しょう」と読んだ「女将」が、料理屋や茶屋の女主人を表す「おかみ」と結びつき、現在では、飲食店や商店、宿泊業を切り盛りする女性を表す言葉になった。
明治から昭和にかけての新聞記事を調べると、明治から大正期の「女将」は、料亭、待合、茶屋、芸妓屋など花柳界で働く女性たちを表す用語だったという。記事中の「女将」の多くは、娼妓・芸妓を職業とするなかでパトロンを得て、彼らの援助で店を開業した女性を指した。似たような言葉に「女将軍」「女大将」「女丈夫」があった。
昭和に入ると、ふりがななしの「女将」が増え、昭和10年代にはふりがななしの「女将」が定着する。職種も多様になり、新しく温泉旅館、洋食店、カフェ、食堂など、多様な飲食業の女性が「女将」として登場するようになる。
戦前・終戦直後の旅館は、「男性のための遊興の場、あるいは旅先での家庭であった」ため、宿泊客への対応を担う女中は、「母親、あるいは妻のように、男性宿泊客の身辺の世話をして働いていた」。客の心付の多寡によって、女中のサービスも変わった。
戦後、旅行が大衆化し、女性客が増えるに伴い、そうした旅館のあり方も変化した。昭和50年代になり、業界専門誌「月刊ホテル・旅館」には、おかみを取り上げる記事が増加する。おかみの心がけや担当業務として、「できる限り多くの客に接する」「お客さんにお茶とコーヒーのサービスを行う」例が紹介され、従業員と良好な関係を維持することも強調された。
当初、おかみへの期待は、設備面で大規模旅館、ホテルに対抗できない中小旅館が他館との差別化を図る戦略の一環だったという。記事にはさまざまな「おもてなし」が取り上げられている。宿泊客へのあいさつが典型的だった。
しかし、旅館と言えばおかみというイメージに反発するおかみも現れるようになり、あいさつをしないおかみの登場にもふれている。
「様々な経験を経て旅館業に従事することになり、さらに旅館業での経験も蓄積した彼女たちにとって、外部からの画一的なイメージの体現を求められるのは、違和感があることであった」と理解している。
本書が学術書としての凄みを発揮しているのは、「第5章 旅館の女主人から『おかみ』へ」「第6章 『おかみ』の選択と創造」だろう。それぞれ西日本の日本海に面した地区と東日本の太平洋に面した地区のフィールドワークを基に、旅館とおかみの関係を深掘りしている。
それまで旅館業務にかかわっていなかった男性の参入、料理という「おかみの仕事」を手放し、板前の前面への登場など、旅館経営の変化によって、おかみのあり方が多様化していることを示している。
「今や想定すべき顧客は日本全国・全世界に存在する」ので、おかみの役割もまた大きいのではないか。感染対策など、新たな方法の模索に最後に言及している。
インバウンドが一部で再開されようとしている今こそ、読んでもらいたい1冊である。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?