先日、タレントのryuchellさんが妻のpecoさんとの夫婦関係を解消し、「人生のパートナー」としてともに歩んでいくと発表して耳目を集めた。日本の婚姻数は団塊世代が「適齢期」を迎えた1972年をピークに減少を続ける一方、離婚件数は増え、熟年離婚の割合も増加している(※)。
生涯独身を貫く人、ひとりで子育てをするシングルマザー、ryuchellさんとpecoさんのように「新しい形」を選ぶカップル......。価値観が多様化するいま、結婚のあり方が問われている。
谷川直子さんの『愛という名の切り札』(朝日新聞出版)は、現代の「結婚とは」に正面から向き合った小説だ。
それがあたりまえだと結婚した主婦の百合子。心変わりを理由に離婚を迫られるライターの梓。結婚にメリットなしと言い切る百合子の娘の香奈。制度にとらわれず事実婚で愛を貫く若い理比人。それぞれの価値観の違いをくっきりと描きながら、「結婚とは」「愛とは」という難しいテーマに挑む。
現代の多様な結婚観を映しとった本作に込めた思いを、著者の谷川直子さんに伺った。
(※2020年の婚姻数は戦後最少の52万5490組、離婚数に占める熟年離婚の割合は1947年以降で過去最高の21.5%。)
『愛という名の切り札』...離婚に踏み切れない作曲家の妻・梓の微妙な気持ちの揺れと、結婚のメリットを探しながら生活を淡々と営む専業主婦・百合子のたくましさが、絡み合いながらビビッドに描かれていく。誰がどこで「愛という名の切り札」を使うのか、果たして愛は切り札になるのか――。
―― 本作には多様な結婚観が描かれていますが、どんなところから着想を得ましたか。
谷川 60代になった元クラスメイトたちと話したとき、夫が退職して夫婦で顔を合わせる機会が増えてから、「こんな人だったんだ! と発見した」とよく聞きました。私も同じことを思っていて、「結婚ってなんだろう?」とふと考えたのがきっかけでした。長く結婚生活を送ってきたからこそ考えもしなかった、という方が私の世代では多いと思います。
一方で、私の母は85歳で96歳の父の介護をしています。家事も育児も夫の世話もすごくがんばるスーパー主婦だった母が、最後の最後に介護という苦行に悩む姿を見て、「結婚ってここまで引き受けないといけないのか?」とも思っていました。
この2世代を対比して書くつもりだったのですが、20代の姪っ子の話も聞くうちに「子ども世代を抜きに、いまの結婚は語れない」と思うようになって、幅広い世代が登場するストーリーを組み立てました。
―― 各世代の方々に取材をされたそうですね。
谷川 同世代は、友人やそのまた友人に「旦那さんに満足してる?」「子どもに結婚をすすめる?」というざっくばらんな感じで聞きました。それぞれが結婚に対して複雑な感情を抱いていることがわかって面白かったです。
一方で、若い世代はすごくシビア。情報がたくさん入ってくるからか、生涯でお金がいくら必要だから、自分がいくら稼いで、夫になる人にはいくら稼いでもらって......と条件を厳しく設定しています。さらに母親が「しんどい」と言うのを間近で見て、「果たして結婚は割に合うのか?」と考えているようです。
―― 百合子の娘の香奈が「もうすぐ結婚なんて誰もしなくなると思うよ」「時間とお金のムダ」と言いますが、結婚を「割に合うのか」で考えることに世代間のギャップを感じます。
谷川 自分はこのくらいの容姿と家のバックグラウンドを持っているから、このくらいの相手に嫁げるはずだとターゲットを決めて結婚した、という方もいました。若い世代ははっきりしていて、そこもまた面白かったです。
―― 時代とともに、結婚の考え方も変わっていくのですね。
谷川 私は1985年に結婚したのですが、当時の生涯未婚率(注:45~49歳と50~54歳未婚率の平均値)は男女ともに4%前後。結婚するのが当たり前で、結婚を愛の最終地点くらいに思っていました。
堀川正美さんの詩に「時代は感受性に運命をもたらす」という一節があって、いつも「そうだな」と思いながら小説を書いています。
―― 子どもがなく、恋愛至上主義で、離婚を迫られても夫のそばにいたい40代の梓と、夫の魅力なんてとうに消えたと言いながらも、ふとした瞬間にしあわせを感じる50代の百合子。主人公の2人が対照的に描かれていますね。
谷川 百合子は専業主婦のステレオタイプのようなたくましい女性にしたくて、いろいろなお母さんたちを総合して人物像を練りました。百合子のような懐の深い女性はたくさんいて、彼女たちがどっしり構えて社会を支えてくれていることを伝えたかったのです。一方の梓は恋愛小説によく出てくるタイプで、愛に対してピュアなまま大人になった女性です。
―― 梓は終盤、「愛というものもまた、極めるべき一つの道として開かれてきたもの」「自分はそんなふうに二人の関係を深めていこうとはしなかった」と気づいて落胆します。なぜ「道」なのでしょうか。
谷川 恋愛や夫婦関係における愛は多分に人工的なものというか、親子の愛のような本能的なものとは違って、意志や努力がないと続かない。剣道や柔道のように、愛も「道」なのではないかと思うのです。
―― 「あふれ出る感情から、欲望や損得勘定や世間体や自分可愛さを取り去ったあとに残るもの、それが愛だとオレは思う」という理比人のセリフも印象的です。
谷川 取材をする中で、若くても経験から恋愛を学んでいる方もいました。理比人もそうです。若いがゆえに言動に迷いがない。この物語の中で彼の果たす役割は大きいです。
―― 一方の百合子は、「結婚という制度のおかげであたかも愛し合ってるかのごとくふるまわせてもらっている」「かくれみのこそ、結婚の恥ずかしいメリット」だと気づいて「胸のつかえがストンと下りた」とあります。「かくれみの」とは、思いもよらない視点でした。
谷川 自分で書きながら「おそろしい」と思ったのですが(笑)、裏切ったことに対する罰則はあっても、愛さないことに対する罰則はない。そこが結婚のいちばん大きな罠なのではないかと。みんながぼんやり思っていることや恥ずかしくて言えないことを、言葉にしたかったのです。
―― 離婚とお金の問題も具体的に描かれていますね。
谷川 梓が夫と別れないのは、生活のためなのか愛のためなのか、そこは読者の想像にお任せします。ただ、「生活」と「愛」は二項対立のように見えて、突きつめると「お金」を軸にして裏表になっていることを、自分自身が生きてきて感じているし、言葉にしなくてもそう感じている女性はたくさんいると思います。
昭和の専業主婦の多くがそうであるように、夫がいないとなにもできないと思い込まされているんです。私たちの世代はそこから抜け切れていない。お金の問題を抜きにすべては語れないし、「女性とお金」のテーマはこれからも追っていきたいですね。
―― 谷川さんがデビューして初めて「これが答えだ、というものがない小説」とのことですが。
谷川 答えが書いてあるわけではないので、イライラする小説になっていると思います(笑)。私自身、書いていて歯がゆかったです。ただ、読者が自分に照らし合わせて考えることで、なにかしらの発見はあるのではないかと。
10年、15年後に振り返ったら「なんでこんなことで迷っていたんだろう?」と不思議に思うかもしれない。恋愛にしても結婚にしても、いまは過渡期で時代が動いている最中なので、答えを出すことを目標にしなくてもいいのかなと思いました。
―― 悩むところに意味があるのですね。
谷川 その方がリアルだし、悩むのは悪いことではないと、この歳になって思います。「夫に不満があるなら別れちゃいなさい」「好きな人がいるなら奪っちゃいなさい」なんて言うのは簡単だけど、そうそう思い切れるものでもないですよね。
スッパリ切って前に進めばいいとは限らないし、答えを先延ばしにすることで新しい自分を発見できるかもしれない。悩むことの中に得難いものがあるのではないかと思います。
結婚とはなにか、愛とはなにか。これらはそもそも答えを出すべき問題なのかもわからない。答えに似たものをつかんでいくのが、「生きる」ということなのかなと。とくに結婚や離婚で悩んでいる方が読んだときに、自分に問いかけて心を洗い出す、そんな小説になっていたら嬉しいです。
■谷川直子さんプロフィール
1960年、神戸市生まれ。2012年『おしかくさま』で第49回文藝賞を受賞。他の著書に、小説『断貧サロン』『四月は少しつめたくて』『世界一ありふれた答え』『あなたがはいというから』『私が誰かわかりますか』などがある。
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