哲学者の千葉雅也さんが書いた『現代思想入門』(講談社現代新書)が、9万部を超えるベストセラーとなり、話題になっている。かつて、浅田彰さんの『構造と力』が、フランス現代思想を「チャート式」に解説したものとして大ベストセラーになったのを思わせる現象だ。その要因を考えながら、読んでみた。
千葉さんは1978年、栃木県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は哲学・表象文化論。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に『動きすぎてはいけない』(河出文庫)、『勉強の哲学』(文春文庫)など哲学書のほか、『デッドライン』(新潮社)、『オーバーヒート』(同)などの小説がある。
今なぜ現代思想を学ぶのか。はじめに、そのメリットを書いている。現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになり、単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるという。
現代は「きちんとする」方向へいろいろな改革が進んでいる。さまざまな面でコンプライアンスが強調されている。これに対して現代思想は、「秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち『差異』に注目する」。それが、人生の多様性を守るために必要だ、と千葉さんは書いている。
この動機付けに評者は圧倒的なリアリティーを感じた。千葉さんの小説『デッドライン』は、第162回芥川賞の候補作で、受賞は逸したがもっとも話題になった。フランス現代思想を研究するゲイの大学院生が、主人公。ゲイ同士が集まる「ハッテン場」や大学のゼミの教室、ファミレスなど東京を回遊しながら、修士論文のデッドラインを前に、もがき格闘する姿が描かれていた。
また、鼎談集『欲望会議』(株式会社KADOKAWA)では、千葉さんはゲイという立場を鮮明にして発言、司会も務めた。性にかんするさまざまな事象、エロ、ポルノ表現、#MeToo運動、LGBTなどを論じていた。
こうした千葉さんの姿を若い読者が知らないはずがない。浅田さんの『構造と力』が参考書のように読まれたのに対し、本書は入門書ではあるが、何か行動のための「マニフェスト」になるのでは、と期待されているのではないだろうか。
内容的には、ポスト構造主義の現代思想を牽引した3人をそれぞれ、デリダは「概念の脱構築」、ドゥルーズは「存在の脱構築」、フーコーは「社会の脱構築」をしたと紹介。特に、デリダの二項対立の脱構築に慣れるよう説いている。
それは、真面目なもの/遊び、大人/子供、秩序/逸脱......などが二項対立だが、プラス側を支持するのではなく、むしろマイナス側に味方できるようなロジックを考え、対立の両側が互いに依存し合う、いわば「宙づり」の状態に持ち込む、論法だと説明する。
入門書としての体裁を取るため、さらに現代思想の源流にある、ニーチェ、フロイト、マルクスにも1章を割いている。また、現代思想の前提となっているラカンの精神分析も最小限、説明している。
ドゥルーズの項目で、浅田さんの『構造と力』、東浩紀さんの『存在論的、郵便的』にふれているのも興味深い。80年代、バブル期の日本の時代の雰囲気にドゥルーズを紹介した前者がマッチしていたというのだ。
その後90年代に入り、バブルが崩壊すると、ドゥルーズのブームが収まり、「楽観的に外部を目指すというよりも、微細な対立や衝突を発見し、二項対立のジレンマを言うような思考」つまり、デリダ的思考が前面化し、後者が登場した、と見ている。
最後に、「ポスト・ポスト構造主義」となる、マラブー、メイヤスーら新世代にも言及している。
付録の「現代思想の読み方」が親切で、ある種のパロディーにもなっている。「いかにも現代思想的な文章」を読むための4つのポイントを挙げている。
1 概念の二項対立を意識する。 2 固有名詞や豆知識的なものは無視して読み、必要なら後で調べる。 3 「格調高い」レトリックに振り回されない。 4 原典はフランス語、西洋の言語だということで、英語と似たものだとして文法構造を多少意識する。
ドゥルーズやデリダの例文を示し、「なんかカッコつけてるな」とか「ここはカマし」とか思いながら読むと、よくわかるというのだ。
最後に、千葉さんは「現代思想はもはや『二〇世紀遺産』であり、伝統芸能のようになっていて、読み方を継承する必要があります」と書いている。その上で、本書は「秩序と逸脱」という二極のドラマとして現代思想を描き直した研究書でもあると。
「こうでなければならない」という枠から外れていると感じ、それゆえ孤独を感じている人たちを励ますために書いた、と結んでいる。本書の切実さはそこに由来しているのだろう。
BOOKウォッチでは、千葉さんの『デッドライン』、共著の『欲望会議』を紹介済みだ。
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