精神科医と占い? 奇妙な組み合わせのように見えるが、精神科医にだって占いにすがりたくなるときはある。
現役の精神科医・春日武彦さんが、占いに救いを求めた体験をつづった作品が『鬱屈精神科医、占いにすがる』(河出書房新社)だ。2015年に刊行されたものがこのたび文庫化した。
春日さんは今年の9月で71歳。つまり執筆当時は60代半ばだ。春日さんの"鬱屈"が膨らみ始めたのは、50代の終わり頃のことだった。
それまでの春日さんはずっと、日常の小さな不幸は「『いざというとき』には幸運へと傾くという保証」だととらえてきたのだそう。ちょっと嫌なことがあってもあとでいいことがあるんだろう、そんなふうに考えることができていた。
しかし、そのとらえ方が、50代の終わり頃から変わってきたという。「根拠のない自信」や楽天性が失われ、小さな不幸が、そのまま「大きな不幸の予兆」に思えるようになったのだ。ちょっと嫌なことがあったら、そのまま坂道を転げ落ちるように、もっと大きな嫌なことが起こるのではないか......。そう感じ始めてから、春日さんの心には鬱屈がどんどん溜まっていった。
カウンセリングを受けるという手もあるかもしれないが、春日さんは精神科医として「彼らの手の内を知っている」ので、「同業」に話すのは気が進まない。かといって、自分で自分にカウンセリングをおこなうというのも無理がある。そこで、春日さんが選んだのが占いだった。
おそらく、占いに頼ってみるのはわたしにとって居直りなのである。世間への恨み、運命への怒り、人生への失望――そうしたものへ占いという「いかがわしげ」な方法をもって立ち向かうことで、嘲笑を投げつけてやろうとしているのだ。
こうして春日さんは、池袋のいかがわしい占い師の店を訪れた。カーテンをくぐると、そこにいた占い師は60歳前後の「ごく普通のオバサン」。魔女っぽさも詐欺師っぽさもない。占いのジャンルは「霊感カウンセリング」だそう。一時間の占い時間で、春日さんは彼女に悩みを吐露していく。果たして春日さんの鬱屈は解決するのか、それとも......。
人はなぜ占いにすがりたくなるのか。「救い」とは一体何なのか? いつも占いが気になる人には、その心理を読み解く興味深い作品に違いない。エッセイと私小説のはざまを揺れ動く、哲学的な一冊だ。
【目次】
まえがき
第1章 占い師に「すがり」たくなる気分のこと
第2章 世界を理解する方法としての占い
第3章 カウンセリングのようなもの、としての占い
第4章 「救い」に似た事象について
第5章 一線を越える、ということ
あとがき
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