史上初、候補5作全てが女性の作品となった第167回芥川賞。著者近影の中でひときわ異彩を放っているのが、『ギフテッド』(文藝春秋)の鈴木涼美さんだ。明るい髪色にばっちりとしたメイク、露出の多い服。元AV女優の社会学者という異色の経歴で、夜の街で働く女性たちに関する執筆をおこない、数々のメディアでも活躍している。
本作は鈴木さんの小説家デビュー作だ。作品の舞台は歌舞伎町と思われる歓楽街界隈。ホステスをしている主人公の部屋に、胃の病で余命わずかな母が居候しに来るところから物語は始まる。
作者の経歴と舞台設定から、スキャンダラスな内容を期待する読者もいるかもしれない。ところが、実際は正反対。落ち着いた文体で夜の街のリアルを丹念に描き出していく、たいへん地に足のついた作品だ。
テレビから聞き覚えのある芸人の声が聞こえてきて、その大袈裟で思わせぶりな盛り上げが心地よいので、チャンネルをそのままにしてカーペットの上に溜まった洗濯物の上に身体を預けた。コードを目一杯伸ばしたヒーターの電源を入れたいけれど、目一杯伸ばしてもテーブルのところまでは届かないそれは、一度立ってキッチンの方面へ数歩は歩かないと触ることができない。
本作の何よりの魅力は、空間の質感だ。怠惰な一人暮らしを経験したことがある人なら、上の文章から、生乾きの洗濯物のにおいや空気に混じる埃までありありと想像できることだろう。
歓楽街での暮らしが身近だという人は限られている。しかし、このようなリアルで丹念な空間描写で主人公から見た世界が描かれることで、読者はまるで自分が一人のホステスになって歓楽街に降り立ったかのように、その街の空気を肌身で感じることになる。
歓楽街の日常は、外から見る印象ほどキラキラはしていない。他の土地に住む人たちとは少し感覚や価値観がずれているかもしれないが、外から見たらそれがどんなにショッキングに見えても、歓楽街の彼ら・彼女らにとっては当たり前の日常なのだ。
二百万の入った封筒を持ち歩く女はこの街に腐るほどいる。死にたいと言う女の数と大体同じくらい。
「母が病気だ」という理由は、夜の仕事ではあまりに使い古された言い訳だ。母の病状が悪化し毎日病院に付き添わなくてはいけなくなったため、主人公は店を辞めるとき「母が病気だ」という事実をマネージャーに伝えたが、マネージャーは彼女の話を信じていないようだった。昼間の仕事なら「母が病気だ」という話を疑う上司はまずいないだろう。でも、これが彼女たちの"当たり前"なのだ。
印象的な人物に、エリという、作中ではすでに死んでいる友人がいる。彼女は賃貸マンションから飛び降りて自殺した。
ことあるごとに死にたいと口にする女で、友人たちの間では単に機嫌が悪いとか、悲しいことがあったとか、会いたいとかと同義にその言葉を受け取る習慣ができていた。
「私、今から死ぬって連絡きたよ、ほんとに死んだ日も」
「ああ。でもほんとに全然死ななかった日にも来てただろ。致し方なしだ」
この街では死さえ特別なことではない。人の生死さえも含めて、出来事全てをフラットに捉える目が、作品を一貫している。「元AV女優が書いた歌舞伎町の話」と思って読み始めたらおそらく拍子抜けするほど、静かな水面のような作品だ。
現実をフラットに見続ける主人公のかたわらで、病で弱って死んでいく母は、理想主義で浮世離れしたようなところがある。母は詩を書いていた。病院のベッドの上では詩が書けない。人生最後の詩を書き上げるために、母は娘の部屋へ来たのだ。
歓楽街の周縁にある部屋を、凡庸な病室よりは勝ると感じる母が、その感覚のまま死んでいくことを思うと、哀れにすら感じた。母はついに、彼女が望むような崇高な成功はおさめなかった。
美しくプライドが高く、浮世離れした母の人物像は、太宰治の『斜陽』に登場する母を彷彿とさせるものがある。本作の母は、未婚のまま主人公を育てた。主人公は十七歳で家を出た。それから全く連絡を取っていなかったわけではないし、病気が重くなってからはむしろ頻繁に連絡したり会ったりしていたが、母子の間にはどこか心理的な距離があった。
何より、母はかつて、主人公の腕に火傷を負わせたことがある。火傷の痕を隠すために、主人公は大きな刺青を入れている。この母子の微妙な距離感は、あらすじで簡潔に説明できるものではない。実際に作品を読んで感じてほしい。
「時間がなくなっちゃった。もう本当に。教えてあげなくちゃいけないことがたくさんある気がするのに」
部屋で主人公にそう言った母。その真意は何だったのだろう。
小説は作者自身の話ではなくあくまでフィクションだが、作者自身の体験と全く無関係だというわけでもないだろう。鈴木さんの実の母はどんな方だったのだろうか。
鈴木さんの母は、児童文学研究家・翻訳家の灰島かりさんだ。2016年に胃がんで亡くなっている。灰島さんは、鈴木さんがAVに出演していたことを知って、こう言ったそうだ。
「私はあなたが詐欺で捕まってもテロで捕まっても全力で味方するけど、AV女優になったら味方はできない」
(鈴木涼美『愛と子宮に花束を ~夜のオネエサンの母娘論~』より)
また鈴木さんは自身のブログで、母・灰島さんをこのように振り返っている。
最期まで私の間違いを指摘し
最期まで私を世界で一番愛してると言っていました。
(中略)
包み込むような生やさしいものでなく、
散弾銃で打ち込むような愛情の持ち主でした。
(鈴木涼美オフィシャルブログ「母の葬儀」より)
歓楽街の暮らしだけでなく、本作に描かれている母と娘の関係性の機微も、きっと極限のリアルだ。
灰島さんは生前、鈴木さんに「入れ込んで書いたものと器用さで書いたものの違いはわかる?」と議論を投げかけていたそうだ。本作はきっと、鈴木さんが母親に胸を張って見せられる「入れ込んで書いた」作品に違いない。
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