「"東洋の化粧品王"と呼ばれた男は、いかにして誕生したか」
産経新聞連載時から大反響! 高殿円(たかどの まどか)さんの『コスメの王様』(小学館)が3月15日に刊行された。
明治、大正、昭和......日本が急速に発展を遂げた時代に、現在のコスメの源流となる化粧品を生み出した男がいた――。
本書は、真心の製品作りと斬新な宣伝手法を武器に激動期を乗り切り、大阪で100年を超える会社を創業した"東洋の化粧品王"と呼ばれた男の一代記であるとともに、女性の自立の物語でもある。
「ほんまに、きみが愛おし!」
時は明治の世。秀才ながらも、山口の家族を支えるため進学を諦め、単身神戸に出てきた少年・利一。牛より安い値段で花街に売られてきた少女・ハナ。神戸・花隈(はなくま)での出会いは、やがて日本の生活を一変させる発明、大ヒット商品誕生へとつながっていく。ふたりが幼い日に交わした約束の行方は――。
明治33年の神戸・花隈。15歳の利一はドブにはまっていたところを、12歳のハナに助けられる。10人も弟妹がいる利一は、商売がうまくいかなくなった実家を支えるため、進学を諦めて奉公に出てきた。いっぽう、貧しい農家に生まれたハナは、牛を買った借金代わりに、牛より安い値段で花隈の屋形、箕島(みのしま)楼に売られてきた。
ある日、花隈の坂にある大銀杏の下で再会したふたりは、互いの身の上話を打ち明け、ある約束を交わす。
「ハナちゃんを身請けしたら、神戸中の牛鍋の店で毎日すきやきを食うてやろう」
「それがええ、すきやきや。そうしよう、そうしよう」
「きっとやで」
「きっとや」
二人して、お互いが不憫でおいおい泣いた。泣いている間にも、金色の葉も重たげな大銀杏は、ただしずしずと二人の頭に肩に降り積もった。利一の頭の銀杏をハナがはらってやる。すると利一がハナの肩の銀杏をはらってやる。そんなことを繰り返しているうちに、なんだかふたりともフフッとわらけてきて、最後には声をだして笑い合った。
「あんなあ、うち、ちょっと利一さんに似てるおもててん」
「似てるて、顔がか」
「そうや。兄妹みたいやて、銀駒ねんさんが」
それから、二人して大銀杏のすぐそばのドブをそうっとのぞき込んだ。水たまりに映った二つの顔は、親から引き離された子の頼りなげな表情までよく似ていた。
高殿さんは、朝ドラ的な内助の功の物語は、この令和に「もういらないんじゃないか」と思ったという。そこで「新しい解釈、新しい切り口、そして光の当て方が必要だ」と考え、利一とハナをW主人公にした。
「同じ顔の似ている境遇の二人が、ただ性差だけでここまでチャンスを与えられなかったのだということが、少しでも読者に伝わればという思いを込めた」
本書は、大阪市の老舗化粧品会社「クラブコスメチックス」の創業者・中山太一(1881~1956)をモデルにしたフィクション。中山太一とはどんな人物なのか。
同社の公式サイトによると、太一は山口県の滝部村出身。21歳のとき、神戸市花隈町で西洋雑貨と化粧品の卸商「中山太陽堂」を創業した。
3年後、世に送り出した第1号製品「クラブ洗粉(あらいこ)」が大ヒット。品質へのこだわりを信念とし、先駆的な宣伝活動を通じてクラブの名を世に知らしめた実業家であり、業界の発展と日本の化粧の近代化に大きく貢献し、"東洋の化粧品王"と呼ばれたという。
生まれも育ちも神戸っ子の高殿さんは、「故郷の神戸をがっつり舞台にした、華やかな物語を書きたいとずっと思っていた」とコラムに書いている。とりわけ、日本第2の港として栄え、巨万の富と成功者と居留地文化を育んだ、活気に満ちた明治の神戸を。
そんなとき、当時の神戸に中山太一という人物がいたことを知ったという。
「山口の農家に生まれた少年が、身一つで家族を養うために知らない土地へやってきて、苦労して勉学し、やがては日本の化粧品産業のトップに駆け上がる。まるで小説のようなその男の人生を、華やかな当時の神戸とともに描き切れたらきっとよいものができると確信した」
小学館の公式サイトでは、本書の試し読みができる。著者が故郷に愛をこめて、壮大なロマン、ラブロマンス、女性の自立を描いた、読みごたえのある1冊。
■高殿円さんプロフィール
神戸市生まれ。2000年『マグダミリア 三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞し、デビュー。13年『カミングアウト』で第1回エキナカ書店大賞受賞。「トッカン」シリーズ、「上流階級 富久丸百貨店外商部」シリーズがテレビドラマ化され、ベストセラーに。19年産経新聞で連載された『グランドシャトー』は、大阪を舞台に、たくましく生きた女性の物語として大きな話題となる。
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