近年、「実はいなかった」などと喧伝され、歴史教科書でも「厩戸王」表記が一般的になりつつあるなど、その存在が謎に包まれている聖徳太子。しかし、11月20日に刊行された『「日本教」をつくった 聖徳太子のひみつ』(ビジネス社)には、そんな疑念を吹き飛ばしてしまうような過激な太子像が描かれている。
著者は作家の井沢元彦さん。本編では「太子は仏教信者ではない」「聖徳太子の名前の由来は怨霊信仰」と、次々に学界の常識へ挑戦する異説を唱えていく。
意外だったのが、女性関係に目を見張るようなエピソードが多かったことだ。太子の人生は、不倫に心中と昼ドラに負けず劣らずの波乱に満ちていた。
591年、太子の伯父である崇峻天皇が九州で遠征中に暗殺されるという事件が起きる。その犯人は、太子の妻の家庭教師・東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)だった。この時点ですでにとんでもない展開なのだが、話はそれだけでは終わらなかった。
ごく身近にいた伯父が暗殺され、その犯人はあろうことか、太子とも顔見知りで、太子の妻の家庭教師を務めていた人物。それだけでも十分ショックだったでしょうが、なんと東漢直駒は、太子の妻である刀自古郎女(とじこのいらつめ)と不倫関係にあったという説があるのです。
天皇暗殺犯と自分の妻が不倫をしていたと知った時、太子は一体どんな気持ちでいたのだろうか。しかもこの後、太子の妻は処刑された東漢直駒の後を追って自殺してしまったのだそうだ。
太子は622年、49歳で亡くなり、埋葬される。ところが、そこで太子と一緒に埋葬されたのは、何人かいる妻のうち、最も身分の低い一人だけだったという。
身分社会の古代日本では、身分の低い相手と同じ墓に入ることは、たとえ夫婦でも難しかったはず。なぜそんなことが可能だったのだろうか? 井沢さんは次のように持論を展開する。
では、なぜ身分の低い妻との異例の合葬があわただしくなされたかといえば、ふたりが「異常死」を遂げたからと考えるのが自然でしょう。
「異常死」の真相は今となってはわからない。愛ゆえの積極的な死だったのか、感染症で相次いで亡くなっただけなのか......。井沢さんは史料を検討し、真相は「心中」だった可能性が高いと結論づけている。
井沢さんによれば、太子の生涯を知ることは、「いまの私たち」を知ることにもつながるという。
たとえば、ノーベル物理学賞を受賞した眞鍋淑郎さんをはじめ、多くの人が日本の特徴として挙げる「同調圧力の強さ」。その特徴を、太子が1400年前に指摘していたというのだ。
歴史の教科書にも載っている有名な「十七条憲法」。そこで太子は、話し合うことを何より大切にする文化、つまり日本人の同調圧力の存在を示唆している......。井沢さんはそう指摘し、この文化的視点から、大日本帝国や戦後日本の失敗をも読み解いていく。
なぜ日本人はそうなのか? これは歴史学の問題であるはずなのですが、私の知る限り、「なぜ日本人は、そのような『同調圧力』を生むのか?」を歴史的に分析した報道はなかったように思います。
太子の愛と死を、さらには現代とのつながりまでを網羅した刺激的な書籍。真相はさておき、数々の資料から独自の解釈を加え、当時の人々の生きざまを、現代に生きる私たちに寄せてイメージさせてくれる。歴史はエンタテインメントだと感じさせてくれる一冊。
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