『ポーの一族』や『残酷な神が支配する』などの作品で知られ、「少女漫画の神様」と称される萩尾望都(はぎお・もと)さん。その作品は「文学を超えている」とも言われ、多くの漫画家や文化人たちに影響を与えてきた。
そんな萩尾さんが、出会いと別れを描いたエッセイ『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)が4月22日に発売される。本書は、1970年代の一時期を過ごした「大泉時代」の回想や、現在感じていることを12万字にわたって書き下ろしたものだ。これまであまり語られることのなかった萩尾さんの人生が、自身の言葉で詳しく綴られている。
萩尾さんは1949年福岡県生まれ。69年に漫画家としてデビューした。SFやファンタジーなどを取り入れた世界観が人気で、竹宮惠子さんや大島弓子さんらとともに「花の24年組」と呼ばれ、少女漫画の一時代を築いた。
76年には『ポーの一族』『11人いる!』で第21回小学館漫画賞を、97年には『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、2006年には『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞を受賞。12年には少女漫画家として初の紫綬褒章を受賞している。
今回は、1976年発行の雑誌に一度掲載されただけの貴重な絵が表紙に起用された。これは『ポーの一族』連載時に描かれた作品である。
そのほか、連載当時には未発表だったスケッチや31ページの漫画を収録している。
萩尾さんは、前書きにこう記している。
「ちょっと暗めの部分もあるお話 ――日記というか記録です。人生にはいろんな出会いがあります。これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です」
萩尾さんは、1970年10月から2年間を大泉で過ごした。萩尾作品に大きな影響を与えたその土地を出て、なぜ田舎に引っ越したのか。どんな思いで創作をしているのか、当時の交友関係など、これまで沈黙を守ってきた事柄が赤裸々に綴られている。
──私は一切を忘れて考えないようにしてきました。考えると苦しいし、眠れず食べられず目が見えず、体調不良になるからです。忘れていれば呼吸ができました。体を動かし、仕事もできました。前に進めました。
これはプライベートなことなので、いろいろ聞かれたくなくて、私は田舎に引っ越した本当の理由については、編集者に対しても、友人に対しても、誰に対しても、ずっと沈黙をしてきました。ただ忘れてコツコツと仕事を続けました。そして年月が過ぎました。静かに過ぎるはずでした。 しかし今回は、その当時の大泉のこと、ずっと沈黙していた理由や、お別れした経緯などを初めてお話ししようと思います。 (「前書き」より)
目次は下記の通り。
前書き
出会いのこと ― 1969年~1970年
大泉の始まり ― 1970年10月
1972年『ポーの一族』
海外旅行 1972年9月
下井草の話 1972年末~1973年4月末頃
『小鳥の巣』を描く 1973年2月~3月
緑深い田舎
引っ越し当日 1973年5月末頃
田舎と英国 1973年
帰国 1974年
『トーマの心臓』連載 1974年
『ポーの一族』第1巻 1974年
オリジナルであろうと、原作ものであろうと
排他的独占愛
鐘を鳴らす人
BLの時代
それから時が過ぎる 1974年~2017年
お付き合いがありません
あとがき(静かに暮らすために)
【特別掲載】
・「萩尾望都が萩尾望都であるために」(文・マネージャー 城章子)
・萩尾望都が1970年代に描き溜めた未発表スケッチ
・マンガ『ハワードさんの新聞広告』31ページ
萩尾さんは本書の中で「この執筆が終わりましたら、もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです」と書いている。それほどにつらい過去だったのか、あるいは、大切に胸にしまっておきたかった記憶なのか。いずれにしても、埋めた過去を今、あえて掘り起こした理由が気になる。これを読めば、萩尾作品の見方がガラリと変わるかもしれない。
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