瀬戸内寂聴さんは今年99歳になる。今も時々徹夜で仕事をする日があるというから、驚くしかない。
寂聴さんの著書に、50年以上読み継がれ、このたび復刊した一冊がある。『愛の倫理――「自分を生ききる」ということ』(青春出版社)だ。本書は、1968年に瀬戸内晴美の名で刊行され、2002年に四六判で刊行されたものの新装版。
ここに書かれている「これからを生きる女性たちへ 自分らしく、人を愛するために知ってほしいこと」は、50年を経た今読んでも色褪せていない。
瀬戸内寂聴さんは、1922年徳島市生まれ。東京女子大学国語専攻部卒業。幅広い文学活動の後、73年に中尊寺で出家得度。旧名、晴美。翌年、京都嵯峨野に寂庵を結ぶ。その後も旺盛な創作活動を続け、受賞多数。徳島県立文学書道館館長、宇治市源氏物語ミュージアム名誉館長。
本書の「あとがき」は、2002年のもの。当時80歳の寂聴さんが、45歳の自分が『愛の倫理』にどんな想いを込めたのかを書いている。
『愛の倫理』はもともと、出版社からの依頼で書き下ろした「女の生き方」のエッセイだった。その数年前から「流行作家」と呼ばれ多忙を極めていたが、「ひどく大真面目にこの仕事に取り組んだことを覚えている」。
「若い女の甘い愛や恋について、やわらかなエッセイ」という出版社の期待に反し、出来上がったのは「堅いもの」だった。
「私自身の家出、離婚、男たちとの恋の苦渋や快楽など、正直に告白しながら、若い人たちのこれからの恋や愛や、結婚や離婚について、ずいぶん真剣に、書いている」
当時は黒髪があり、着物や宝石のおしゃれをして、「女としての快楽」を愉しんでいた。小説家としても、脂が乗りきっていた。そして一つの恋が終わりかけ、新しい恋のはじめと重なり、人知れず苦悩をかかえてもいた。
「そんな時だったので、自分の愛の軌跡を振り返り、反省したり、決意を自分にうながしたりしている時であった」
「少し堅すぎた」ものの、『愛の倫理』は「多くの若い読者や、中年の迷い多い読者」を得て、版を重ねたようだ。
本書は「1 愛からの追求」「2 愛からの自覚」「3 愛からの生き甲斐」の構成。その中に「男が本当に愛したい女」「自分のかくれた欲望」「人間の愛欲の本能」など、女性の興味を引きそうな項目が並ぶ。
はじめに、「女に生まれる前に私たちは人間であるということを忘れてはいないでしょうか」と問いかけている。
「旧来の道徳を妄信しないで、新しい明日の道徳を、もっと女の幸福と自由のための道徳を、私たち女の手でつくっていくための努力と闘いに勇気を持ってのぞんでいってはどうでしょうか」
このように、愛、男女、性、結婚、出産、離婚、仕事について、45歳の晴美さんが持論を展開している。当時の世相が浮かび上がってきたり、文豪たちがイキイキと登場したりして、50年前に書かれたからこその新鮮さがある。
堅めの文体で若干むずかしく感じることもあったが、私生活が書かれたところになると俄然スッと頭に入ってきた。波乱万丈の人生を歩んでこられた方とは知っていたが、45歳の晴美さんの文章には迫力がある。
寂聴さんは女子大の2年の時に見合いをして、婚約。3年の時に学生結婚。21で出産。結婚5年目に夫と子どもをのこして家を出た。若い恋人がいたため、世間では「夫より恋人の肉体にひかれたのだろう」と「うがったような批評」をされた。
ところが「その時の恋は、まったく精神的なもの」であり、「私たちは肉体的に結びついてはいなかったのだ」という。「性の真の意味が、精神的にも肉体的にも会得されたのは、離婚後何年かたってから」だったそうだ。
「人間の生活には、魔におそわれる不可抗力の時がある。(中略)こうしたらだめだなと思いながら、どうしても、そうしてみたい奇怪な時に摑まれることがある」
「妻の家出というものは、私は、この『魔の時』におきるものだと思う」として、自身が家を出た時の心境をこう振り返る。
「十数年も前になったその時を、いくら思いかえしてみても家を出てしまった瞬間の自分の気持は、一種の真空状態になげこまれていた頼りなさの形でしか浮んで来ない」
ここまでさらけ出していいのだろうかと心配になるほど、力のこもる言葉で表現し尽くしている。
「改めて読み直してみて、(中略)全然旧くなくて、たった今の、若い娘や中年の女性たちのかかえている愛の悩みや、問題がそのまま書かれているのにびっくりした。真理というものは、年月がたっても旧くならないものだということに感動した」
「女性の幸福と自由を説いた瀬戸内寂聴の原点」である本書は、現代女性にとっても刺激的な読書体験となるだろう。
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