毎日バスに揺られて他人の家に通いながら、ひたすら死ぬことを思う掃除婦(「掃除婦のための手引き書」)、夜明けにふるえる足で酒を買いに行くアルコール依存症のシングルマザー(「どうにもならない」)、刑務所で囚人たちに創作を教える女性教師(「さあ土曜日だ」)......そのどれもが著者ルシア・ベルリンの人生に根ざした作品だという。
本書『掃除婦のための手引き書』(講談社)は、アメリカの女性作家ルシア・ベルリン(1936-2004)の短篇24篇を岸本佐知子さんが選んで翻訳した本だ。
アメリカで一部でしか知られていなかったルシア・ベルリンが、「再発見」されたのは死後10年余りたった2015年。生涯に書いた76の短編の中から43篇を選んだ作品集が出版されてからだ。ベストセラーとなり、アメリカの新聞、雑誌のベストテンのほぼすべてのリストに入ったという。
岸本さんの「訳者あとがき」に、その生涯がコンパクトにまとめられている。かいつまんで紹介する。
1936年アラスカ生まれ。鉱山技師だった父親の仕事の関係で、幼少期はアイダホ、ケンタッキー、モンタナなどの鉱山町を転々とした。5歳のときに父が第二次世界大戦で出征すると、テキサス州エルパソの母の実家に移り住んだ。一族はアルコール依存症という環境だった。終戦後、父母らとチリのサンチャゴに移住。大学入学までチリで過ごす。
大学在学中に最初の結婚をするが離婚。その後、2回の結婚と離婚を繰り返しながら、ニューヨーク、メキシコと移り住む。1971年からカリフォルニアに住み、高校教師、掃除婦、電話交換手、ERの看護師などをしながら、シングルマザーとして4人の息子を育てる。この頃からアルコール依存症に苦しむようになる。
20代から創作を始め、90年代にアルコール依存症を克服すると刑務所などで創作を教えるようになり、94年にはコロラド大学の客員教授となる。肺疾患が悪化、2004年にがんのため死去、68歳の誕生日だった。
表題作「掃除婦のための手引き書」は、77年に出た初めての作品集に収められた作品だ。シングルマザーの掃除婦が、バスを乗り継ぎ、さまざまな顧客の家を訪れる様子が描かれている。
掃除婦へのアドバイスが箴言風に出てくる。
「奥様がくれるものは、何でももらってありがとうございますと言うこと。バスに置いてくるか、道端に捨てるかすればいい」 「原則、友だちの家では働かないこと。遅かれ早かれ、知りすぎたせいで憎まれる。でなければいろいろ知りすぎて、こっちが向こうを嫌になる」
行く先々の家の描写が細かい。岸本さんは「彼女の作品の本当の魅力は、それら人生のさまざまな場面を鮮やかに切り取ってくる、彼女にしか持ち得ないような目と耳との鋭さにこそある」と書いている。
ルシア・ベルリンの再評価につながった作品集には「物語こそがすべて」というリディア・デイヴィスの序文があり、本書にも収められている。
「彼女は並外れてたくさんの場所に住み、並外れてたくさんの経験をし、それらはふつうの人生の何回ぶんにも相当するほどだった。すくなくともその一部について私たちは知っている。苦難の子供時代、幼少期の性的虐待、めくるめく情事、依存症の苦しみ、困難な病気と身体の不自由、きょうだいとの思いがけない絆、単調な仕事、厄介な同僚、口うるさい上司、友人の裏切り。それからもちろん自然界への畏れにも似た感動」
体験した困難な素材を作品に書くときの心構えについてもふれている。
「実際のできごとをごくわずか、それとわからないほどに変える必要はどうしても出てくる。事実をねじ曲げるのではなく、変容させるのです。するとその物語自体が真実になる。書き手にとってだけでなく、読者にとっても、すぐれた小説を読む喜びは、事実関係ではなく、そこに書かれた真実に共鳴できたときだからです」
事実をねじ曲げるのではなく、変容させること、というアドバイスは、小説を書こうとしている人へのいいアドバイスになるだろう。
そんな人生の真実が24篇も収録された本書は、実にお値打ちな本だ。
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