評価が高い本だと聞いていたが、実際に読んでみてその通りだと思った。本書『性からよむ江戸時代――生活の現場から』 (岩波新書)は、江戸時代の庶民層の生活に、「性」という切り口から迫ったものだ。まじめな研究書だが、かなり「ディープ」な内容。時代は異なるが、今の私たちが読んでも身につまされる話がいろいろ出てくる。
本書が扱っているのは18世紀後半から19世前半の江戸時代、今からざっと200年ほど前の日本の生々しい姿だ。
生まれた子が本当に自分の子かどうか、妻と裁判で争う夫。難産に立ち合った医者のリアルタイムの診療記録。ごく普通の町人が記す遊女の姿......。あまり知られていない史料なども探し出し、丹念に読み込んで、江戸時代の女と男の性の日常や「家」意識、藩や幕府の政策などに迫る。普通の庶民レベルから、いわゆる遊女に至るまで珍しい話が次々と登場する。全体は以下の構成。
第一章 交わる、孕む――小林一茶『七番日記』 第二章 「不義の子」をめぐって――善次郎ときやのもめごと 第三章 産む、堕ろす、間引く――千葉理安の診療記録 第四章 買う男、身を売る女――太助の日記 第五章 江戸時代の性
第三章までは、いわゆる庶民の記録、第四章から性風俗の世界へと踏み込んでいく。著者の沢山美果子さんは1951年生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科人間発達学専攻修了、博士(学術)。現在、岡山大学大学院社会文化科学研究科客員研究員。専門は日本近世・近代女性史。著書に『出産と身体の近世』(勁草書房)など多数。
第一章では、俳人の小林一茶が登場する。子供好きなお爺ちゃんというイメージの強い一茶だが、実は「性豪」で、様々な「強精剤」も飲み、「交合記録」を丹念につけていた。一茶の日記が、江戸時代の一般人の性生活に関する貴重な史料になっていることは、よく知られている。本書でも入念に分析されている。
第二章では「不義の子」にまつわる騒動を扱っている。現在にも通じる話だ。第三章では当時の「産婦人科医」の貴重な診療記録が紹介されている。
興味深いのは第四章だ。江戸時代は遊郭=遊所が全国に広がり、天保期にはそのランク付けをした番付表が市販されていたという。北は松前から南は長崎まで201か所の番付表ができていたから驚く。よく売れていたらしい。さらには、ここに掲載されていない遊所も多数あったそうだ。
この章の主人公、太助は出雲・松江の町人。47歳から約30年間、4冊の日記をつけていた。そこには様々な「性を売る女」の話が出てくる。遊女、売女、酌取女、下女、芸子、小女、抱女、女郎と名称は雑多だ。
太助はしばしば、自宅二階の座敷を性売買の場として提供、貸し賃を取ったりもしていた。日記にはその具体的な金額も出てくる。
妻との間に息子二人を持つ太助は、家族のために頑張って働く善良な父親でもあったが、一方では、遊所に出入りし、そこでの体験や見聞を書き残し、さらには自宅を「ラブホテル」として提供して、小遣い稼ぎもする達者な人物だった。今でいえば、「二つの顔」を持つということになるが、当時は珍しくなかったようだ。自分の「日記」が後世の貴重な学術史料、しかも性風俗史料になることなど、思いもよらなかったに違いない。
圧巻は、第四章に掲載されている「陰売女」の一覧表だろう。「陰売女」とは非公認で身を売る女たちだ。
江戸時代は、冥加金を納めることを条件に遊郭が公許されていた。つまり、遊郭は幕府の集金装置でもあった。非公認の女たちに商売されては、遊郭業者も幕府も被害甚大になる。放置できない。したがって、「陰売女」は厳しく摘発された。
本書には文政12年から天保11年にかけて検挙され、「罰」として吉原に送られた陰売女127人の名前、年齢、入札額、住所、戸主、続柄などの個人データが掲載されている。多くは江戸の下層借家人層。つまり生活苦の人たちだった。親の了解のもとに娘が、あるいは夫の了解のもとに妻が、陰売女になっているケースも少なからずあったようだ。
江戸時代は銭湯が混浴だったり、大胆な春画が好まれたりで、性的なことに関しては「おおらか」だったといわれることが多い。しかし、「陰売女」の例を見てもわかるように、背景には「生活苦」があった。著者は単純に「おおらか」と言い切るにはあまりに異なる「買う男」と「身を売る女」の落差を精査し、「おおらか」という「男目線」でつくられた私たちの常識を鋭く問い直す。
BOOKウォッチでは関連書を多数紹介済みだ。『芸者と遊廓』(青史出版)は江戸時代にさかのぼり、芸者と遊郭の歴史を辿る。『妓生(キーセン)――「もの言う花」の文化誌』(作品社)は隣国の妓生の歴史だ。日本との違いや、関わりも詳述されている。日本ではすでに12世紀ごろ、大阪・淀川の河口地帯に一大歓楽街があったことなども紹介されている。『出島遊女と阿蘭陀通詞--日蘭交流の陰の立役者』(勉誠出版)は、海外との窓口だった出島には多数の遊女が出入りしており、オランダ商館長らと昵懇だったことを教える。
『江戸東京の明治維新』(岩波新書)によると、19世紀以降、新吉原の全町焼失火災は13件。その半数以上は遊女たちによる怒りと絶望、復讐の放火だった。『病が語る日本史』 (講談社学術文庫)によると、江戸時代は性病も蔓延、杉田玄白は『解体新書』で有名だが、実際に診ていた患者のうち、7~8割は梅毒だった。
『欧米人の見た開国期日本――異文化としての庶民生活』 (角川ソフィア文庫)には、来日した欧米人が日本で混浴が常態化していることに仰天した話が出てくる。
『青い眼が見た幕末・明治――12人の日本見聞記を読む』(芙蓉書房出版)によると、1859年から62年までイギリスの初代駐日総領事を務めたオールコックは売春宿も視察、日本の女郎についても書いている。「日本では人身売買がある程度行われている」としつつ、「一定期間の苦役がすんで自由の身になると、彼女たちは消すことのできぬ烙印がおされるようなこともなく、したがって結婚もできる」など観察が細かい。
『戦後日本の〈帝国〉経験』(青弓社)によれば、明治維新で最初に海外に渡った女性は長崎の遊女たち。長崎在留のフランス、イギリス、清国の男性が帰任するのに同行したのだ。
明治になり、海外から「芸者」は「人身売買」ではないかと批判され、明治政府は大慌てで芸娼妓等解放令を出す。しかし、ザル法。『東京の下層社会』(筑摩書房)によると、大正末期から昭和初期、全国で売春業に関わる女性は約15万人。15歳から35歳までの女性の76人に1人が関係していたという。当時、娼婦になった女性の88%は「家の困窮を救うため」だったというから、江戸時代と状況はあまり変わっていない。
『従軍慰安婦と公娼制度――従軍慰安婦問題再論』(共栄書房)によると、戦争末期には中国に約200もの「日本人町」が形成され、そこには「日本人売春婦」が1万5000人もいたという。日本が「公娼制度」という国際的に見て異様な売春システムを抱えていたことが、「性奴隷型慰安婦」の土壌になったのではないか、ということが読み取れる。
BOOKウォッチではコロナ禍に関連して、新宿・歌舞伎町を緊急ルポした『新型コロナと貧困女子』(宝島社新書)を取り上げ、「濃厚接触でしか生きることができない女性たち」の現状を報告した。本書『性からよむ江戸時代』は、日本人と性の問題を200年前までさかのぼり、あまり変わらぬ姿を伝えている。現代の問題を、歴史的に再考するという意味でも貴重な一冊だ。
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