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ペリー来航の10年前に「琉球王国」で起きていたこと

黒船来航と琉球王国

 かつて、ペリーの黒船は1853年に突然来航したと教えられてきた。今ではその約1年前に長崎のオランダ商館を通じて「来年来航」の連絡があり、幕府側が頭を痛めていたことが分かっている。さらに最近では、ペリー来航のかなり前から琉球(沖縄)には外国船が毎年のように訪れ、長期滞在する外国人もいたことなどが知られるようになった。本書『黒船来航と琉球王国』(名古屋大学出版会)は、そのあたりの歴史を時系列に沿って改めて詳述するとともに、開国に果たした琉球の役割を問い直している。

異国船を打払わなかった

 欧米の船がなぜ頻繁に琉球に来ていたのか。背景には欧米側と琉球側の、それぞれ異なった事情があったようだ。その前に、外国船の琉球来航史を本書に沿って簡単に振り返っておこう。

 1797年 イギリスのプロヴィデンス号が宮古島で座礁、那覇寄港。
 1816年 イギリスのアルセスト号とライラ号が那覇港に40日停泊。調査・測量目的。
 1818年 イギリス商船ブラザース号が那覇入港。貿易を求める。
 1821年 オランダ船が2度漂来。食料給付。
 1822年 オランダ船漂来。乗船者約40人。船修理。食料や水を給付。
 1827年 イギリス船ブロッサム号、那覇入港。太平洋やベーリング海調査の途中。
 1831年 イギリス船、那覇港に渡来。食料など給付。
 1832年 イギリス船、ロード・アマースト号が那覇港に寄港。商業航路の調査が目的。
 1837年 アメリカ商船モリソン号が那覇洋面に投錨。音吉ら日本人漂流民7人が同乗。

 こうやって振り返ると、来航の多さに驚く人が少なくないのではないだろうか。実はこれに類した動きは、日本側でもあった。

 1792年 ロシア船が根室に。漂流民・大黒屋光太夫送還の引き換えに通商関係の要求。
 1804年 ロシア船が長崎に。通商要求が拒絶され、ロシアが蝦夷地周辺を攻撃。
 1806年 幕府が薪水給与令で外国船に対処の方針。
 1808年 イギリス船フェートン号が長崎侵入。オランダ商館員を捕らえる事件。
 1825年 幕府が異国船打払令。オランダ船以外は発見と同時に攻撃の指示。
 1842年 アヘン戦争で、清国がイギリスに敗れる。
 1842年 異国船打払令撤廃。

 この2つの年表を見て気づくことがあるに違いない。一つは、ロシアやイギリスが18世紀末から日本に近づいてきたこと。日本は当初、薪水給与令で穏便に対処したが、25年に異国船打払令を出したこと、琉球王国ではその後も、異国船を追い払わず、食料などを給付していることだ。

 ではなぜ琉球王国はそのような対応をしていたのか。それが本書を読むときの大きなポイントになる。

「鎖国」の防波堤

 本書は以下の構成。

 序 章
  第Ⅰ部 布教の戦場
 第1章 フランス船の来航
 第2章 宣教師たちの滞留
 第3章 薩摩藩による琉球守備兵派遣の偽装工作
 第4章 布教をめぐる攻防
 第5章 ベッテルハイムの処遇問題と英国船艦長の首里城入城
  第Ⅱ部 ペリーの来航
 第1章 新たな来訪者ペリー
 第2章 提督不在の琉球
 第3章 琉米条約と新たな国際関係
 第4章 サーベルの下で結ばれた琉仏条約
 第5章 島津斉彬の構想と琉蘭条約
 第6章 王府の内部抗争の展開

 本書の第Ⅱ部にあるように、ペリーは浦賀に姿を現す前に、まず琉球にやってきた。19世紀、次々と現れる列強の要求にさらされ、「鎖国」の防波堤となったのが琉球だ。

 著者の上原兼善さんは1944年、沖縄県生まれ。九州大学大学院文学研究科博士課程後期歴史学専攻中退。岡山大学教授をへて、現在は名誉教授、博士(文学)。

 主著に、『近世琉球貿易史の研究』(岩田書院、2016年、日経・経済図書文化賞・角川源義賞・徳川賞)、『「名君」の支配論理と藩社会――池田光政とその時代』(清文堂、2012年)、『島津氏の琉球侵略――もう一つの慶長の役』(榕樹書林、2009年)、『幕藩制形成期の琉球支配』(吉川弘文館、2001年)、『鎖国と藩貿易――薩摩藩の琉球密貿易』(八重岳書房、1981年)がある。

 沖縄出身ということもあって、「浦賀中心では見えない、新たな開国史」を描くことに力点が置かれている。

列強と幕府の板挟み

 上述のように、「異国船打払令」が出た後も、琉球王国がそれ以前の「薪水給与令」と同じような穏便な対応をしているのには理由がある。本書によれば、琉球王国には大砲がなく、打払うことができなかった。海防が全くできていなかった。したがって、異国船が来るたびに、食料を給付してお引き取りいただくことに終始していた。

 当時の琉球王国は形の上では独立国家で、清と日本の両方と通交していることになっていたが、実際には薩摩の属国だった。そのことは欧米列強も承知していた。したがって彼らは日本本土よりも入り込みやすい琉球に近づいた。

 日本の「鎖国」(海禁)政策は、キリスト教の禁制を基軸に、貿易・通交の国家による管理、日本人の海外渡航の禁止を目的としていた。琉球への列国の接近を放置すれば、「鎖国」が崩れる。琉球王国は、建前上は独立国だから、日本が武器供与して海防をあからさまに強化することは憚られる。しかしキリスト教の上陸はどうしても阻止したい。幕府はおそらくそのようなジレンマで苦しんだことだろう。

 列強は琉球を突破口に日本の「鎖国」をこじ開けようとする。琉球王国はそんな列強と、幕府との板挟み。それが当時の基本構図だということが本書を通じて読み取れる。

「沖縄戦」と似た構図

 38年ごろから琉球への異国船の来航はさらに頻度を増し、40年からのアヘン戦争で加速する。44年3月にはフランス船のアルクメーヌ号が那覇にやってきた。友好と通商を求める文書を琉球側に渡し、その返事は数か月後に次の使節がやってくるときにしてもらいたい、その時の通信要員として二人を引き続き残していくという。その一人は宣教師フォルカード、もう一人は中国人神学生のオーギュスタン高だった。彼らの目的に布教があることは明白だった。

 同じ年の11月にはイギリスも交易を求め、45年には測量船が来航、さらに46年にはこちらも宣教師が上陸する。

 江戸時代を通じて、中国を軸とした国際秩序の枠組みに組み込まれ、それなりに安定していた琉球をめぐる情勢が急速に緊迫の度合いを増す。当然ながらその情報は薩摩に伝えられ、さらに江戸幕府にも報告されて、幕閣は対応に苦慮する。すでにアヘン戦争の結果を通じて、列強と日本との軍事力は「相撲取りと3、4歳の童子」ぐらいの差があることは薩摩藩の現実認識になっていた。直接の責任者である薩摩藩は、オランダ商館長に対応策を尋ねているが、「誠実をもって丁寧を尽くすのがよい。失礼がましいことをすればそれを理由に戦争を引き起こすことは間違いない。先だっての唐国戦争(アヘン戦争)もそのことが原因である」というのが回答だったという。

 こうしてペリーの来日の10年ほど前には、琉球が開国の最前線となっていたことが本書を通じてリアルに再現される。「辺境」がいきなり「主戦場」になっていたのだ。幕府が考えたのはおそらく「時間稼ぎ」だろう。実は、これと似たようなことがあったことに気づいた。「沖縄戦」だ。「本土決戦」に備えるための時間稼ぎ、という意味ではよく似ているのではないか。幕末に薩摩が歴史の主役に躍り出たのは、こうした琉球情勢などをもとに列強の実力や情報を把握していたことが大きかったに違いない。

 BOOKウォッチでは類似本で、『青い眼の琉球往来――ペリー以前とペリー以後』(芙蓉書房出版)を紹介ずみだ。こちらはタイトルからも分かるように一般読者向け。対して本書は学術本。当時の琉球王国の位置づけが明確で、関係者の対応についても極めて詳しく、内容が一段と濃い。

 このほかBOOKウォッチでは、鎖国については『「鎖国」を見直す』(岩波現代文庫)や『倭館――鎖国時代の日本人町』(文春新書)、オランダ商館については『出島遊女と阿蘭陀通詞--日蘭交流の陰の立役者』(勉誠出版)や『オランダ商館長が見た 江戸の災害』(講談社現代新書)、さらには、漂流民から幕末にイギリス通訳になった男の評伝『音吉伝―知られざる幕末の救世主―』(新葉館出版)、『幕末日本の情報活動――「開国」の情報史』(雄山閣)なども紹介している。



 


  • 書名 黒船来航と琉球王国
  • 監修・編集・著者名上原兼善 著
  • 出版社名名古屋大学出版会
  • 出版年月日2020年8月 4日
  • 定価本体6300円+税
  • 判型・ページ数A5判・370ページ
  • ISBN9784815809959

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