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幕末開国史を沖縄から見ると、意外なことが――

青い眼の琉球往来

 2018年は明治維新150年。改めてペリー来航や、当時の諸外国の動きについても注目度が高まるに違いない。

 かつて教科書では、「泰平の眠り」が突然の黒船で醒まされ、「夜も眠られず」というのが定説だった。しかるに今日では、突然ではなく、事前に長崎・出島のオランダ人を通じて予告があったということが一般化している。

1818年には英国で『朝鮮・琉球航海記』出版

 幕末通の人なら1853年のペリー来航の前に、すでに46年に、米国・東インド艦隊の司令官ジェームズ・ビドルが二隻の艦船で浦賀に到着、日本との外交折衝を開始しようとしたが、追い返され失敗していたことなども知っているだろう。

 舞台は江戸だけではない。いや江戸に先んじる形て、実は沖縄(琉球王国)に外国人が到着していた。かれらによる「琉球滞在記」がいくつも残っている。邦訳もされている。それらを丹念に読んでエッセイとしてまとめたのが本書『青い眼の琉球往来』である。

 たとえば英国ではなんと早くも1818年に『朝鮮・琉球航海記』という本が出版されている。数年のうちにオランダ、フランス、ドイツ、イタリア語にも翻訳されたという。欧州一円でかなり読まれたと推測される。

 書いたのはベイジル・ホール(1788〜1844)。英国の軍艦ライラ号の艦長だ。英国から中国に派遣された使節団を送り届け、1816年、余暇に朝鮮と琉球を回った。彼に付き添った琉球人の通訳もいたというから、江戸とは違う独自の国際感覚が、当時の琉球にはあったようだ。『朝鮮・琉球航海記』は岩波文庫に入っている。

 ホールの船にはハーバード・ジョン・クリフォードという人物も乗り合わせていた。彼の日記も残されている。

欧米との対応に追われる

 27年には英艦ブロッサム号が那覇寄港。37年には米国のモリソン号が那覇に二度寄港。 44年にはフランスの神父のフォルカードが来琉して2年間滞在、「琉球日記」を残した。『幕末日仏交流記』として中公文庫に収められている。「1万語以上を収録した辞書」まで作っていたそうだ。53年、ペリーも浦賀に来る前に琉球に立ち寄り、上陸もしている。

 著者の緒方修さんは元文化放送記者・プロデューサー。1970年代から「日本のどことも違う」沖縄に魅せられ、通うこと80回。沖縄に住みつき、99年から沖縄大学教授。

 開国というと、江戸幕府の動きに注目が集まりがちだが、清との濃密な関係もあって、琉球国には欧米人の来訪が早かった。各国のアプローチは逐一、琉球国から薩摩藩にも報告されていたと思われる。鎖国の扉が開いた幕末の外交史を、江戸と琉球の複眼で見ることで、新しい発見も出てきそうだ。

  • 書名 青い眼の琉球往来
  • サブタイトルペリー以前とペリー以後
  • 監修・編集・著者名緒方修 著
  • 出版社名芙蓉書房出版
  • 出版年月日2017年10月 6日
  • 定価本体2200円+税
  • 判型・ページ数B6判・244ページ
  • ISBN9784829507216
 

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