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東大の児玉先生が「コロナ本」を出すとしたらタイトルは?

新興衰退国ニッポン

 コロナ禍に関連して多数の専門家が登場している。その中で出版社がいま最も原稿を書いてもらいたいと思っているのは、児玉龍彦・東京大学先端科学技術研究センター名誉教授ではないだろうか。理由として、児玉さんは、政府寄りの専門家とは違って、はっきりしたことを言う、東京・世田谷区と協力して実践的な活動をしている、今のところ特にコロナに関した著作を出していない、などが挙げられる。もちろんすでに、執筆が終わって刊行間近かもしれないが。

「世田谷モデル」を提唱

 児玉さんは2020年7月16日、参院予算委員会の閉会中審査に野党推薦の参考人として出席。「東京がコロナ感染拡大のエピセンター(震源地)になる可能性がある」「今日の勢いで行ったら来週は大変になります」と危機感をあらわにした。その後、警告通りに東京の感染者数が急増した。世田谷区は「誰でも、どこでも、何度でも」PCR検査を受けられる「世田谷モデル」を提唱し、注目されているが、この方式を提案し、区をバックアップしているのは児玉さんだ。テレビ番組でも、「駄目な理由を100挙げるのではなく、やりながら考えよう」「今こそリーダーシップが必要」などわかりやすいメッセージを発し続けている。

 ところが、児玉さんには、意外なほど著書が見当たらない。本書『新興衰退国ニッポン』 (現代プレミアブック)は数少ない一冊だ。経済学者の金子勝・慶応大学名誉教授との共著。10年前の出版だ。ほかにも金子氏と共著で『逆システム学』(岩波新書)があるが、こちらは2004年刊。そのほか単著では『内部被曝の真実』(幻冬舎新書)が目立つぐらい。こちらは11年刊。

 なんだ、あんまり著書のない大学の先生だな、と思われるかもしれない。ところが、検索すると、英文の論文、著作物が山のように出てくる。日本の学者としては異例の人だ。国内より海外、国際的な執筆活動に力を入れている人だということがわかる。つまり、ちょっとレベルの違う人のようだ。

実践する科学者

 児玉さんは1953年生まれ。金子氏との共著が複数あるのは、東京教育大附属駒場高(現在の筑波大附属駒場高)の同級生ということに関係がありそうだ。言わずと知れた受験ワールドの最難関校。そこから東大医学部に進んで、東大病院医師、マサチューセッツ工科大学研究員、東大医学部助手を経て、30代半ばで東京大学先端科学技術研究センター教授に就任している。超秀才コースの先頭を突っ走ってきた人だということがわかる。

 専門は分子生物学、システム医学領域らしいので、感染症の権威というわけではなさそうだ。東大では総長補佐やアイソトープ総合センター長も経験。福島原発の事故後は、地元自治体と協力して放射能対策に取り組んできた。実践する科学者として、今回の世田谷区と類似の共同作業などをすでに経験済みと言える。

 ちなみにテレビでよく見かける感染症専門家は、調べてみると、不思議なことに東大医学部出身者が目立たない。その意味でも、児玉さんの言動は何となく気になる。

10年前に予測済み

 本書はタイトルからもわかるように、辛口の内容だ。10年前に早くも「日本の凋落」を予言している。「新興」は新しく興ることなので、通常はこれから発展することを意味するが、本書はそのあとに「衰退」という反対の言葉を重ねている。要するに日本は新たに衰退する国になっているというのだ。構成は以下の通り。

 第1章 医療 止まらない医療崩壊の現実―なぜ救急病院「たらい回し」は起こるのか
 第2章 貧困 貧困が国を滅ぼす―ニッポン型貧困がもたらすもの
 第3章 雇用 有期雇用は人間と経済を破壊する―目先にこだわるツケは将来払わされる
 第4章 介護 行き詰まる高齢者介護制度―高齢化社会に待っている絶望
 第5章 公共事業 公共事業という名の"麻薬"―ダム、原発、産廃処理施設、基地頼みの地域衰退
 第6章 産業 メイド・イン・ジャパンの没落―環境エネルギー革命にも乗り遅れて
 第7章 金融 100年に1度の危機がもたらす社会不安―実現できずに後退するアメリカの"チェンジ"と日本の"マニフェスト"
 第8章 知のルール コンピュータがもたらす優位性―グーグル、アマゾンの支配に搾取される知の財産
 第9章 技術開発 科学技術立国の黄昏―分断される技術ニッポンのDNA

 経済と科学の話が混在している。経済は金子氏、科学は児玉さんが書いていると推測できる。部分的には、両方の要素が入り組むところもあるように見受けられるが、共通しているのは、日本のシステムが危ういということだ。日本は確実に衰退過程に入っていると警告する。10年前の出版だが、内容的には今日の日本が陥っている事態を予測していたと言えるだろう。

100年前に指摘されている

 本書の切り口から見えてくるのは、多数の感染症専門家と、児玉さんの問題意識や立脚点の決定的な違いである。児玉さんは医療のみを分離して論じるのではなく、環境、エネルギー、技術開発などを関連する総体としてとらえて課題を指摘し、国家としての対策を提案している。

 一般の感染症の専門家は、感染症の対策のみに絞って発言する。「三密を避けましょう」「帰省の際は、懇親会などの出席は控えましょう」など、いわばコロナに対する小手先のアドバイスが多い。

 ところが児玉さんはテレビなどで、政府の対策は、100年前のスペイン風邪対応と同じレベルにとどまっていると批判。21世紀なのだから、遺伝子工学、計測科学、情報科学などを総合した精密医療で対応する必要があると強調する。アベノマスクに象徴されるような、政府のローテク・コロナ対策に疑問や不安を感じている視聴者の胸にはすとんと落ちる。

 ここで改めて、100年前の知見――BOOKウォッチで紹介済みの『流行性感冒――「スペイン風邪」大流行の記録 』(東洋文庫)の内容を振り返っておきたい。

 ・粗製並製の「ガーゼ」のマスクは防御効果なし。
 ・談話の際に菌は四尺先まで飛んでいる。患者周囲の危険界は四尺。
 ・咳嗽(咳、くしゃみ)では十尺先まで飛ぶ。咳嗽患者周囲の危険界は最短十尺。
 ・マスクを使用することで、他の伝染経路(手の汚れ、不衛生な食物)をなおざりにする傾向がある。
 ・内輪の集まり(会社の事務室、友人間の社交的な会合等)ではマスクを取り外す者が多い。

 繰り返すが、これはまだウイルスの存在自体も知られていなかった100年前に作成された政府報告書だ。ガーゼへの吹き付け実験結果も出ている。ガーゼ2枚だけだと、菌が2680個残った。8枚でも850個。ガーゼ2枚に脱脂綿一枚だと191個に減った、とし、今後使用するマスク素材について、素材ごとの一平方インチ当たりの繊維数についても細かく定めている。使用繊維数に応じて、「病人用」「非病者のみの着用の場合」などの区分けもされている。当時の科学で解明できた事実をもとに、より精度の高い防衛策を試みようとしていたことがわかる。これを見たら、現在の政府の対策が、100年前と50歩100歩だと思う人は少なくないのではないか。

「中国、科学論文数で首位」

 児玉さんの立脚点は「先端科学技術研究センター」。すなわち、コロナに「先端科学」の総合力で立ち向かうということだ。そうしないと、日本がさらなる「新興衰退国」に転げ落ちると考えているはずだ。だからこそ多くの視聴者は、児玉さんの主張や提案に、他の専門家にはない迫力や総合力、新鮮さを感じるのではないだろうか。

 児玉さんは現在のところ、中国がコロナを封じ込めていることを評価しているようだ。中国が「先端科学」を含めて、さまざまなノウハウを総動員したという話は、BOOKウォッチで紹介した『コロナ後の世界は中国一強か』(花伝社)に出ていた。

 8月8日の日経新聞の一面トップは「中国、科学論文数で首位」だった。中国は研究者数でも最多。論文数は20年前の18倍、10年前の3.6倍。引用論文数でも米国に迫っている。残念ながら、日本は低迷している。論文数は20年前には2位だったが、17年は4位。注目論文は20年前の4位から17年は9位。児玉さんが10年前に本書で警告していたことが現実になっている。読者は、こうした科学面の日本の凋落と、コロナ対策の弛緩はリンクしていると痛感するのではないか。

 児玉さんがコロナに関して新たに本を出すとすれば、テーマは「先端科学技術とコロナ」ということになるだろう。

 BOOKウォッチでは関連で、『PCR検査を巡る攻防――見えざるウイルスの、見えざる戦い』(リーダーズノート)、『医学部』(文春新書)、『海外で研究者になる――就活と仕事事情』(中公新書)、『平成経済 衰退の本質』 (岩波新書)、『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)、『なぜ日本だけが成長できないのか』(角川新書)、『株式会社化する日本』(詩想社新書)などを紹介している。



 


  • 書名 新興衰退国ニッポン
  • 監修・編集・著者名金子勝、児玉龍彦 著
  • 出版社名講談社
  • 出版年月日2010年6月12日
  • 定価本体1600円+税
  • 判型・ページ数四六判・282ページ
  • ISBN9784062950589

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