直木賞候補作の紹介シリーズ第4弾は『雲を紡ぐ』(文藝春秋)。いじめで不登校になった東京の女子高生が、岩手県の盛岡で羊毛を糸に紡ぎ、染め、織り上げるホームスパンに挑戦する。壊れかけた家族はまた一つになれるだろうか。
前日紹介した遠田潤子さんの『銀花の蔵』(新潮社)は、奈良の旧家の醤油蔵を舞台にした「家族小説」だった。本書もまた「家族小説」と言えるだろう。三代にわたり、かなりしこっている家族の物語だ。
主人公の山﨑美緒は、中高一貫の私立女子校の高校2年生。脂足の体質を「アビー」とからかわれるとともに、電車に乗ると腹痛になり便意をがまんできなくなり、不登校になった。父方の祖父母がつくってくれた赤いショールをかぶって部屋にこもっている。
ある日、ショールが見当たらず、母が捨ててしまったと思った美緒は、衝動的に盛岡の郊外にある祖父の工房をめざす。ホームスパンをつくる山﨑工藝舎を営む紘治郎は温かく美緒を受け入れ、ホームスパンの工程を一つずつ教え始める。
並行して、娘に家出された父の広志の視点からも物語は語られる。父の工房を継がず、大学院を出て準大手の電機メーカーで家電製品の開発に携わってきたが、会社は業績不振になり家電部門から撤退するという噂が流れていた。
教師をしている妻の真紀ともすれ違いが続き、離婚を視野に家庭内別居が始まる。「ホームスパンを1枚織り上げるまでは東京に帰らない」という美緒を黙認しようとする広志と留年を心配し、すぐにでも連れ戻したい真紀との対立はエスカレートしていく。
父の従姉妹である裕子とその息子太一の下で、羊毛の汚れ落とし、糸の紡ぎと工程を少しずつ美緒は学んでいく。彼らの言葉が含蓄に満ちている。
「切れてもつながる。切れた糸と新しい羊毛を握手させて撚りをかけるんだ。覚えた? 続けて」 「羊毛は死んだ動物のものじゃない。生きている動物の毛をわけてもらうんだ。だから人の身体をやさしく包んで守ってくれる」 「思ったより固かったりすることはある。人と一緒で、羊も体つきや気性がそれぞれ違うから、毛にも個体差が出るのよ」
修業の合間に描かれる盛岡の街の描写が素敵だ。階段状に洗い場が並ぶ清水、店と住まいが一緒になった昔の町家が保存されている界隈、それらをゆったりと見下ろす岩手山のたたずまい。盛岡の街がもう一つの主人公と言えるかもしれない。
祖父や工房の人たちとのやりとりの中で、引っ込み思案でつくり笑いを浮かべていた美緒は少しずつ変わり、成長していく。
「六月 光と風の布」「六月下旬 祖父の呪文」「七月 それぞれの雲」「八月 美しい糸」「十月 職人の覚悟」「十一月 みんなの幸」「三月 その手につかむもの」と半年をかけて、物語はゆっくりと進む。
少しずつ技術をマスターした美緒は、盛岡のホームスパンが自然で素朴な作品に美を見出した民藝運動で盛んになったことを知り、祖父にこう問いかける。
「ねえ、おじいちゃん。自然な手仕事だと、化学染料より植物で染めたほうがよくない?」
それは、祖父と祖母が別れ、その後祖母が亡くなる原因ともなる大きな問題を指摘していた。植物染料は直射日光に弱く、退色する。それを嫌う紘治郎は化学染料しか使わず、植物の命を布に写し取りたいと願った祖母は工房を出て独立したのだった。
そんな両親を見て、父と距離を置くようになった広志もまた同じ岐路に立たされていた。
「でも、お父さん。人生の半ばを過ぎて、ときどき呆然とする。自分の人生は家のローンと子どもに教育つけるだけで終わるのかと。なのに、それすらもうまくいってない......。頑張ってきたけど、家庭も仕事も結局、何もかもばらばらだ」
認知症の兆候を自覚し、工房の後始末を考え始める紘治郎、会社での将来を案じ妻との離婚を考える広志、ホームスパンの修業を続け留年が決まった美緒。家族三代がそれぞれ悩みを抱えながら、物語は大団円を迎える。
本書を読んで、盛岡のホームスパンに関心を持つ人が増えるかもしれない。評者も亡き父から受け継いだ古いホームスパンのオーバーを処分しきれず、長く仕舞い込んできたが、何かリフォーム出来ないかと思った。素材の持つ魅力が、本書をより上質な読み物にした、と言えるだろう。
著者の伊吹有喜さんは、1969年三重県生まれ。中央大学法学部卒業。出版社勤務を経て、2008年『風待ちのひと』(「夏の終わりのトラヴィアータ」より改題)で第3回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞してデビュー。これまでに『ミッドナイト・バス』と『彼方の友へ』が直木賞候補となっている。
BOOKウォッチでは、今回直木賞候補となっている遠田潤子さんの『銀花の蔵』(新潮社)、馳星周さんの『少年と犬』(文藝春秋)、今村翔吾さんの『じんかん』(講談社)、前回受賞した川越宗一さんの『熱源』(文藝春秋)を紹介済みだ。
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