『悩む力』など多数のベストセラーで知られる政治学者、姜尚中さんが、ちょっと落ち込んでいるのではないか――本書『朝鮮半島と日本の未来』 (集英社新書)の書き出しを読んで、そんな気がした。なぜなら「朝鮮半島の統一」という「夢」と「希望」が、姜さんの生きているうちには、どうも実現しそうにないことを悟り、あきらめにも似た心境に陥っているからだ。
表紙の写真が、現在の姜さんの心境を如実に象徴している。1950年生まれ。今年70歳。頭髪は黒いが、頬には年齢相応の皺も刻まれている。静かに腕を組み何かをじっと見つめる相貌は、まだまだ続く秋霜の日々に備えているかのようだ。深い悩みがうかがえる。ざっと見たところ、写真撮影者の名前はないが、著者の内面まで写し取った優れたポートレートと言えるだろう。写真の横には、「これは、私の人生において最も大切な一冊なのだ」という切羽詰まったキャッチコピーがついている。
姜さんにとって、1950年は特別な年だ。単に生誕年というだけではない。この年、朝鮮戦争がはじまり、朝鮮半島は焦土と化した。多数の民間人を巻き込んだ犠牲者は300万人を超えるともいわれる。以来、南北の分断が続き、国境線が固定されたままだ。
ある時期まで姜さんは、この戦争の終わりを見届ける一冊を書くことを夢想していたという。だが、冒頭で、「――私はもう南北朝鮮の統一を見届けることはないのだ」と正直に記している。すなわち本書は、「ある種の諦念と折り合いを付けながらの作業であったように思う」。
南北や東西に分かれていた同一民族国家が、元通りになったケースは戦後いくつかある。ベトナムは力づくで新国家を作り上げ、ドイツはソ連のペレストロイカの影響を受けた東欧革命で統一を達成した。ドイツのメルケル首相は、旧東ドイツ育ちだ。ところが、朝鮮半島は変わらなかった。北朝鮮は金正恩体制になって、かえって頑迷になり、韓国は政権交代のたびに、前大統領が捕まるなど、安定しない。日韓、日朝関係もパイプが細り、好転は見込めない。南北統一など夢のまた夢、それよりも偶発戦争だけは避けてほしい、と思っている人が多いのではないだろうか。
本書を書き始めた時、姜さんは上記のように「希望」が見えない重苦しさの中にいた。ところがコロナ禍という新たな災厄が突然、世界全体を危機の淵に立たせることになった。あらゆる国の人が重苦しさを共有せざるを得ない非常事態だ。この先、世界はどうなっていくのか。
コロナ禍は国や体制の違いを超えた協力を加速させるかもしれない。一方で、逆に不安と恐怖に駆られて、敵対と排除へと向かう可能性もないわけでもない。「私は前者の可能性を信じ、朝鮮半島と日本の未来の姿を多くの人と共有すべく、今回の執筆に臨んだ」と姜さん。そして、「本書を読み進めれば、危機の中にチャンスを、悲観の中に楽観を、絶望の中に希望を見いだすことが、単なる妄想ではないことを、少なからぬ人が実感してくれるに違いない。私はそのように信じている」。つまり、途中から少し元気を取り戻している。
本書は「序章 危機には変化が必要だ」「第一章 なぜ北朝鮮は崩壊しなかったのか」「第二章 南北融和と『逆コース』の三〇年」「第三章 『戦後最悪の日韓関係』への道筋」「第四章 コリアン・エンドゲームの始まり」「終章 朝鮮半島と日本の未来」という構成。
「序章」はかなり長い。おそらく本書編集の最終段階でコロナ禍が広がり、大幅に書き加えたのだろう。「第一章」では金日成が亡くなった1994年を起点に、北朝鮮がなぜ崩壊しなかったのかを解説。「第二章」はこの30年の南北融和を振り返り、着実に前に進んでいることを確認する。「第三章」では現在の「戦後最悪の日韓関係」に至る経過を再確認し、「第四章」では「休戦」状態が続いたままの朝鮮戦争を終わらせようとする近年の動きを追っている。「終章」では難問をどのように解決していくか、ラフな見取り図を示す。
最後にかつて金大中と会って話した時のことを書いている。金大中は金正日のことを「独裁者」だと思っていたという。しかし、何が何でも戦争を避けるため、「太陽政策」で南北首脳会談に臨んだ。一方、韓国の独裁者、朴正熙に金大中は何度も命を奪われそうになった。しかし、あくまでライバルと考え、「敵」とは見なさなかったという。「本書は、ある意味では金大中氏との出会いを通じて得られた『太陽政策』を、私の知見と私なりの言葉で語り直そうという試みでもある」と記している。
以上のように、本書はコロナ禍の前に書き始め、コロナ禍を踏まえて「もはや、『嫌韓』や『反日』に現(うつつ)を抜かしている余裕はない」という思いに改めて至り、金大中の言葉や思想をかみしめながら、「希望」について語る、という構成になっている、と読める。
おそらくコロナ禍は今回で終わらないだろう。人類はそこから何を学ぶのか。著者の切なる思いが本書に詰まっている。少なくとも著者のキーワード「悩む力」は、世界を揺るがす危機の中で一段と深まり、パワーを取り戻したようだ。
ちなみに本書は凝った体裁になっている。新書本だが、通常の新書の表紙の上に、もう一枚、著者の姜尚中さんの横顔のポートレートを大きく掲載した表紙が付いている。新書なのに、単行本のような体裁だ。そのぶん製本に余分のコストがかかっているのではないかと想像するが、それだけ出版社も力を入れているということかもしれない。
BOOKウォッチでは関連で、『北朝鮮 核の資金源――「国連捜査」秘録』(新潮社)、『脱北者たち――北朝鮮から亡命、ビジネスで大成功、奇跡の物語』(駒草出版)、『朝鮮に渡った「日本人妻」――60年の記憶』(岩波新書)、『朝鮮大学校物語』(株式会社KADOKAWA)、『韓国を蝕む儒教の怨念』(小学館新書)、『だれが日韓「対立」をつくったのか――徴用工、「慰安婦」、そしてメディア』(大月書店)、『韓国大統領はなぜ悲惨な末路をたどるのか?』(宝島社)、『ルポ「断絶」の日韓』(朝日新書)、『妓生(キーセン)――「もの言う花」の文化誌』(作品社)、『韓国 古い町の路地を歩く』(三一書房)、『朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか』(創元社)、『近代日本・朝鮮とスポーツ』(塙書房)、『評伝 孫基禎――スポーツは国境を越えて心をつなぐ』(社会評論社)など幅広く紹介している。また、姜さんの著書では『母の教え 10年後の「悩む力」』(集英社新書)を紹介済みだ。
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