世界各国で医療関係者による新型ウイルスとの命がけの闘いが続いている。いまだに原因もわからず、治療法もはっきりしない。患者や死者の爆発的な増加で、国や地域によっては「医療崩壊」も現実味を帯びている。
本書『感染症とたたかった科学者たち』(岩崎書店)は人類の歴史を振り返り、正体不明の凶悪な感染症に果敢に挑んだ医者や科学者たちを紹介している。子ども向けの本だが、大人が読んでも勉強になる。
本書は大別して二部構成になっている。最初のところでは、人類史と感染症についての象徴的な出来事をまとめている。ローマ帝国崩壊との関連などはすでにBOOKウォッチ『世界史を変えた13の病』(原書房)でも伝えた。
ほかにも本書で取り上げられている出来事を紹介しよう。たとえば、「宗教改革の背景にあった梅毒」。梅毒は大航海時代になって、新大陸に渡った人が持ち帰ったといわれている。コロンブスの一行が帰国した後、ヨーロッパじゅうに広がった。
イギリス王のヘンリー8世も梅毒だったという。ルターやカルバンの宗教改革は、イギリスで「ピューリタン」という性道徳に厳しい宗派を生んだ。その背景には性道徳の乱れによる梅毒の蔓延があったというわけだ。
梅毒はさらにヴァスコ・ダ・ガマの一行が喜望峰経由でインドに伝え、中国、琉球を経て日本に到達した。コロンブス帰国からわずか25年しかたっていない。たちまち日本でも広がる。杉田玄白は『解体新書』で有名だが、実際に診ていた年間約1000人の患者のうち、7~8割は梅毒患者だった。玄白は生涯梅毒の研究に打ち込んだが、ついに治療法を見つけることができなかった。これは、BOOKウォッチで紹介した『病が語る日本史』 (講談社学術文庫)に出ていた。
もう一つ、興味深かったのは「新大陸征服の要因だった天然痘」だ。16世紀にスペインは中南米をあっという間に征服した。なぜ少人数のスペイン人が短期間に勝利を手にすることができたのか。要因の一つとして挙げられているのが天然痘だという。
現在のメキシコに栄えていたアステカ王国では、スペイン経由の天然痘が瞬く間に大流行し、数百万の人口が半減した。インカ帝国の皇帝や後継者は、スペイン人のピサロがわずか168人の兵力でペルーに上陸した時、すでに天然痘で死んでいて帝国は内乱状態だったという。
天然痘の免疫を持っていない先住民たちは次々と倒れる。ところが、スペイン人は子どものころに罹っていて免疫を持っていたので被害がほとんどなかった。その結果、先住民は「自分たちの神よりもスペイン人の神の方に力がある」と勘違いし、侵略者に抵抗する気力を失ってしまったのだという。
こうした「歴史のトリビア」のような話を枕に置きながら、本書は本題の科学者たちの話に入っていく。
・権力に屈せず、真理を見つめた村医エドワード・ジェンナー――近代免疫学の幕を開けるひらめき「牛乳しぼりの女性は、天然痘にかからない!」 ・「情熱」で人類に貢献した科学者ルイ・パスツール――弱毒生ワクチンを開発したひらめき「何もないところから生物は生まれない!」 ・細菌学と医学の礎を築いたロベルト・コッホ――病原菌を単離し、実証に導くひらめき「ひとつの病気の原因になる菌はひとつ!」 ・努力と忍耐で化学療法を確立パウル・エールリヒと秦佐八郎――地道な実験をくり返して生まれたひらめき「病気を治す化学物質を見つけたい!」 ・信念を貫いた細菌学者北里柴三郎――破傷風の血清治療の道を開くひらめき「血液の中に毒素を中和する物質ができる!」 ・初めて抗生物質を発見した医師アレクサンダー・フレミング――戦場でのくやしさをばねにしたひらめき「微生物を殺す化学物質を見つけたい!」
以上の目次からも分かるように、医学者紹介では「ひらめき」がキーワードになっている。科学の世界では「セレンディピティー(思いがけない発想やふとした偶然から生まれた発見)」といわれているそうだ。取り上げられている研究者はいずれも、そうした「ひらめき」と、それを実証する探求心の持ち主だったというわけだ。
ジェンナーが「牛乳しぼりの女性は、天然痘にかからない!」といううわさ話に「ひらめいた」ことは有名だ。そこに何か天然痘対策のヒントがあるのではないか、とピンときた。それは田舎町で医者の助手をしていたまだ17歳の時だった。
牛には牛痘といわれる病気がある。乳しぼりの女性は牛痘(天然痘よりも軽い)には罹るが、天然痘にはならない。ならば牛痘に罹ることで、天然痘の発病を避けることができるのではないか。そう考えて実験や試行錯誤を繰り返し、実際に成功するのは30年後のこと。権威あるイギリス王立協会に論文を提出したが、相手にされず、自費出版で自説を書き残したという。
感染症は古代から中世まで、星や太陽の動きで起こるとか、悪い空気やガスなどの瘴気によるとか、人の悪い行いによる神の罰、というような俗説がまかり通っていた。免疫学の扉を開けたジェンナー、弱毒性ワクチンを開発したパスツール、細菌学の基礎を築いたコッホ、ペニシリンを発見したフレミングなどの手によって、科学の手で感染症を解明・予防・治療するという近代医学が大きく発展してきたことが、本書を通してよく理解できる。
天然痘は人類の10分の1を殺してきたともいわれるそうだ。本書によれば、ジェンナーの牛痘接種でそれ以降、世界の数十億人が助かったという。天然痘は周知のように1980年に制圧されている。史上最高の「救命医」はジェンナーということになりそうだ。
産業革命期のロンドンでは5人に1人が結核で死んでいた。コッホの結核菌の発見や、ペニシリンなどの抗生物質の開発で、かなり抑えられるようになっている。このほか「ワクチンで狂犬病から少年を救う」(パスツール)、「破傷風の治療法を発見」(北里柴三郎)など、医学者の「ひらめき」をもとにした研究が、後世の人類に大きく貢献したことを痛感する。
本書の著者は、白鴎大学教育学部教授の岡田晴恵さん。臨床医ではないが、感染免疫学、ウイルス学、公衆衛生の専門家。感染症に関する解説書や啓もう書の多さでは、群を抜く。日本ペンクラブや日本児童文学者協会にも属しており、子ども向けの本も多い。本書は小学校高学年からが読者対象。学校図書館などには常備しておきたい一冊だ。
BOOKウォッチでは岡田さんの『知っておきたい感染症―― 21世紀型パンデミックに備える』 (ちくま新書)のほか、『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)、『猛威をふるう「ウイルス・感染症」にどう立ち向かうのか』(ミネルヴァ書房)、『ウイルスは悪者か』(亜紀書房)など新型コロナウイルス関連本を多数紹介している。
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