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神社は「御利益」だけではなかった!

二十二社 朝廷が定めた格式ある神社22

 新年を迎えてお参りに行く。近所で済ませる人もおれば、大混雑の有名神社に向かう人もいる。本書『二十二社――朝廷が定めた格式ある神社22』(幻冬舎新書)は、ブランド力が高い神社についての解説だ。単なるガイドブックではない。なぜ22の神社が選ばれたのか、どんな意味があるのか、その歴史を振り返る。

平安時代に決まる

 著者の島田裕巳さんは宗教学者。『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』(幻冬舎新書)、『「オウム」は再び現れる』(中公新書ラクレ)など多数の関連書がある。

 まず、「二十二社」の名前を挙げておこう。

 「上七社」として、神宮(伊勢神宮)、石清水八幡宮、賀茂(上賀茂、下賀茂)、松尾大社、平野神社、伏見稲荷大社、春日大社。「中七社」として大原野神社、大神神社、石上神宮、大和神社、廣瀬大社、龍田大社、住吉大社。「下八社」として日吉大社、梅宮大社、吉田神社、廣田神社、八坂神社、北野天満宮、丹生(丹生川上神社中社、丹生川上神社上社、丹生川上神社下社)、貴船神社。

 二十二社とは、天変地異が起きたとき、国(朝廷)が神前に供物(幣帛)を捧げた22の第一級神社のことだ。朝廷が奉幣使を出して、天地安寧を祈願するぐらいだから、大変な神社である。8世紀ごろからそういう習わしがあり、少しずつ神社数が増えて、平安時代の1039年、後朱雀天皇が定めた神社の格式制度で22の神社が決まったという。地域は京都と奈良が中心だが三重、大阪、滋賀、兵庫にも1つずつある。伊勢神宮、伏見稲荷大社、春日大社のような有名神社はもちろんだが、丹生川上神社のようにあまり知られていない神社もある。

 どんな由来や特徴があるのか。出雲大社や厳島神社は入っていないのはなぜなのか。

平家の滅亡が影響

 厳島神社は、平安末期に、二十二社に加えようという動きがあったという。プラスにもなり、マイナスにもなったのは、厳島神社がこの時代に絶大な権力を誇った平家一門の氏神だったということ。平清盛は娘の徳子を高倉天皇に嫁がせ、安徳天皇が生まれた。平家はこれにより、藤原氏と同様に天皇の外戚となっていた。しかし平家は源氏に滅ぼされ、安徳天皇は壇ノ浦で運命を共にする。ゆえに二十二社に加えられることはなかった。

 本書は、「二十二社の中核をなすのは、朝廷と深い関係を結んだ神社と、天皇の外戚(母方の親戚)となり摂関政治を展開した藤原氏ゆかりの神社」とみる。もしも平家が滅ぼされていなかったなら、厳島神社は加えられ、藤原氏ゆかりの神社は外されていたかもしれない、と書いている。二十二社の選定には平安時代の政治情勢が深くかかわっていることが分かる。

 厳島神社のほかにも、有名神社では出雲大社、鹿島神宮、宇佐神宮などは入っていない。

 その理由について本書では特に書かれていないが、基本的に京都から近い神社を選んでいることも一因のようだ。今と違って、当時は交通が不便。朝廷が奉幣使をすぐに出せるところが軸になったようだ。

鎮めなければならない存在

 上七社のトップに登場するのは伊勢神宮。その由緒については本書で初めて知った。

 もともと宮中では、天照大神と倭大国魂神の二つの神が祀られていた。災いが続いたときに、この二神をともに祀っているのが原因ということになり、両神とも外に出された。天照大神については大和から近江、美濃国と新たなる祀り場所を探し、伊勢国に落ち着いた。倭大国魂神は奈良の大和神社に祀られるようになったそうだ。

 本書はその天照大神の意外な一面についても記している。『古事記』に自分の子孫である天皇を殺した話が出てくるというのだ。14代の仲哀天皇は「新羅を攻めろ」という神のお告げに従わなかったために命を落とす。それは「天照大神の御心」によるものだったという。

 つまり天照大神は子孫の天皇をも殺す怖い存在だというのだ。そのせいか、京都から遠く離れた伊勢に祀られている。明治時代になるまで天皇は一度も行幸していないという。一方で、天皇に代わって、皇女が「斎宮」となって天照大神に仕えている。島田さんは次のように考える。

 「神とは、正しく丁重に祀らなければ、禍をもたらし、ときには人間をも殺してしまう存在である。古代の日本人はそのように考えてきた。神を祀るのは、それが利益をもたらしてくれるからではなく、逆に、鎮めなければならない存在だからである。神についての古代人の考え方が現代とは異なるものであったことを認識する必要がある」

 伊勢神宮など有名神社には式年遷宮がつきものだ。何年かごとに社殿を新しくする。絶えず新たな社殿を提供することで、安らかに鎮座してくれることを願う気持ちが込められていたのでは、と島田さんは推理する。

「百済王らは朕の外戚なり」

 もう一つ本書で興味深いのは、「上七社」というトップランクの七社のいくつかと、渡来人との結びつきである。

 「朝廷を支えたのが、賀茂神社を祀る賀茂氏であり、松尾大社と伏見稲荷大社を祀った秦氏である。秦氏は渡来人だが、賀茂氏についても、秦氏と同族であり、やはり渡来人であるという説もある。渡来人を祀る神社が上七社に多く含まれることは、彼らがいかに権力の座に近い存在であったかを示している」

 伊勢神宮は皇祖神として天照大神を祀るが、奈良時代から平安時代にかけて、皇祖神を祀る神社は伊勢神宮だけではなかったことも注記されている。石清水八幡宮や平野神社は第二、第三の皇祖神を祀る神社だった。本書は「その背景には王朝の交代という出来事が起こっていた可能性も考えられる」としている。

 平野神社は桓武王朝の氏神だった。桓武の父の光仁天皇はその前の称徳天皇と8親等も離れている。桓武天皇の生母は百済系。桓武は790年の詔で「百済王らは朕の外戚なり」と明言していた。平安時代初期に畿内に住んでいた氏族の名前を記した『新撰姓氏録』(815年)によると、全体の30%が中国や朝鮮をルーツとする人たちだった。桓武天皇の詔や渡来系の神社の存在は、当時の人々にとって違和感がなかったのかもしれない。

 平成の天皇も2001年の会見で、「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と語っている。

 本書はこのように現代の日本人がぼんやりとしか知らない有名神社のルーツについて、かなり踏み込んでいる。「二十二社」についての一般向けの新書は初めてだという。年始にあたり、本書に登場する有名神社に行くような人は、あらかじめ読んでおくと勉強になるかもしれない。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
  • 書名 二十二社 朝廷が定めた格式ある神社22
  • 監修・編集・著者名島田裕巳 著
  • 出版社名幻冬舎
  • 出版年月日2019年11月28日
  • 定価本体880円+税
  • 判型・ページ数新書判・293ページ
  • ISBN9784344985766
 

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