大阪・堺市の仁徳天皇陵とされる「大山(だいせん)陵古墳」は、その規模の大きさで知られるが、2017年7月に世界文化遺産の国内推薦を獲得し、訪問客が増えるなど注目が高まっている。近くの市役所高層階から眺める全長約500メートルの墳丘は「絶景」だ。本書『神々が宿る絶景100』(宝島社)は、この大山古墳など、いまなお古代の雰囲気が伝わる歴史の舞台を、豊富なカラー写真で紹介したもの。霊験あらたかで、癒しや生命力を感じられるパワースポットが厳選されている。
日本の歴史の起源を知る手掛かりは「古事記」や「日本書紀」だが、両書とも、その内容は、神話仕立てで虚飾も多いという。それでも、出来事に応じた地名が明らかにされており、とくに日本書記では、その数は1000か所以上という。その大半には伝承があり、本書に紹介されたのは、原風景が遺されているとみられる「絶景」スポット100か所だ。
記紀ではなかなか実感できない古代史の息遣いが、本書で写真を見ながら解説を読んでいるだけで、ちょっとした時間旅行をした感じになる。それもパワースポットならではのご利益か。
著者の三浦佑之(すけゆき)さんは1946年生まれで、千葉大名誉教授の古代文学者。「古事記」研究の第一人者で、通説にとらわれない論を展開し続けている。本書は3章仕立て。第1章「神代の時代へ」第2章「神武天皇から武烈天皇の御代へ」第3章「継体天皇から桓武天皇の御代へ」と、時代を追って絶景を追う構成になっている。
堺の「大山陵古墳」が紹介されているのは第2章「神武天皇から武烈天皇の御代へ」のセクション。「崇神天皇はじめとする初期のヤマト王権の大王墓は、当初こそ大和の地に築かれていたものの、いつしか、河内の地に築かれることが多くなった。しかも陵墓の規模は格段に巨大化していった」という。
墳丘の長さでは、大山陵古墳が約486メートル(525メートル説も)で1位で、2位はやはり堺市にある御廟山(ごびょうやま)古墳で、こちらは425メートル。これらばかりではなく、大きさで全国10位までの古墳のうち半数の5か所が、堺市の「百舌鳥古墳群」と近くの羽曳野市と藤井寺市にまたがる「古市古墳群」の2か所に集中しているという。
大山陵古墳は、世界文化遺産の国内推薦獲得のほかにも、さきごろ、宮内庁が堺市との共同調査の実施を明らかにし、さらに注目が高まっているところ。というのも、同古墳は「仁徳天皇陵」として宮内庁が管理しているのだが、その指定は根拠に乏しいとする指摘があり、この調査で何かが分かるのではないかともみられているからだ。
本書では「大山陵古墳を『日本書記』に記された百舌鳥野陵のこと、つまり仁徳天皇陵と見なすことが多いが、築造されたとみられるのが5世紀前半から半ばとみられるところから、仁徳天皇陵ではないとの説が有力である」と述べている。
古代史の史跡というと、関西以西が中心となりがちだが、本書によれば「東国」にも「巨大な古墳群が点在」しており、その紹介に怠りはない。古墳の数では、意外なことに、群馬県は11位にランクされるという。調査報告によっては、3位あるいは4位にもなる。「中でも往時の面影を復元した保渡田古墳群の八幡塚古墳は圧巻」で、それは約100メートルの墳丘の斜面を2段に分け、葺き石がびっしりと敷き詰められた上、円筒埴輪がずらりと並べられ、その景色は壮観という。同古墳は、群馬の大豪族が葬られたという。
関西以外ではほかに、静岡・清水の「日本武尊の火難の舞台」である草薙神社、山梨・富士吉田の「日本武尊が霊峰富士を遥拝」したとされる大塚丘(おおつかやま)や、同・甲府にある山梨県最大の前方後円墳「甲斐銚子塚古墳」などが紹介されている。
また、国生みの神話がある「上立神岩(かみたてかみいわ)」(兵庫県南あわじ市)や、卑弥呼の墓という説もある「箸墓(はしはか)古墳」(奈良県桜井市)などに伝わる伝承は不可解だったり、妖しかったりで、現地に行って確かめたい気にさせられる。
本欄では『古墳空中探訪 奈良編』(新泉社)なども紹介している。
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