確実に全国紙の書評で取り上げられるだろうと思われる本だ。『みんなで戦争――銃後美談と動員のフォークロア』(青弓社)。あの戦争に民衆の間でどんな美談が生み出され、流布したか。それが戦争推進にどのように関わったか。A5判という大きめの判型だが、小さな活字でびっしり。400ページを超える大作だ。新書なら3冊ぐらいになりそうだ。
満洲事変から日中戦争へと続く戦時下の日常=銃後は、プロパガンダを意図した「愛国の物語」にあふれていた。銃後美談にこびりつく戦意高揚や動員の言葉を慎重にはぎ取り、戦時下に漂う「空気」を析出して、総力戦下の矛盾や善意という暴力を浮き彫りにする――というのが本書の趣旨だ。「序章 美談の読み方」を皮切りに「第1部 銃後美談とは何か」では、「銃後美談集を編む」「銃後美談と活字メディア」「増殖する銃後美談」が語られる。「第2部 銃後美談が動員する社会」では「応召する男たちをめぐって」「納豆を売る子どもたち」「妻そして母たちの銃後」「モダンガールと少女たちの銃後」「もう一つの銃後」「動員と『弱さ』をめぐって」と続く。
たとえば、東京足立区の正一君(6歳)。家の近くで遊んでいて現金25円を拾った。交番に届けたら、落とし主が判明し、報労金3円をもらった。お母さんは支那で戦っている兵隊の苦労話をして、このお金を戦地の兵隊さんに送りましょうと説いた。正一君も賛成し、近くの区役所に行って「兵隊さんに」と差し出した。係員がご褒美に日の丸の小旗を進呈すると、正一君は大喜び。軍歌を歌いながら、旗を振り振り帰宅したのでした・・・。
戦争中に「美談」が大量に生み出され、国民が感動し、戦意高揚に大きな役割を果たしたということはよく知られている。とりわけ「銃後」で量産された。戦争は戦場で兵隊だけが戦っているのではない、家庭や学校や工場などで一般国民も後方から支えている。そんな国民のハチマキ姿の様々な出来事を「美談」が伝えた。
多数の「美談」は、戦争が終わると、いつのまにか忘れられたり、封印されたり。人々は意識的あるいは無意識的に物語を消去して、足元から崩れた人生を立て直すことに専念した。
本書は、そうして静かにフエードアウトしていった「美談」に改めてスポットを当てる。それは庶民がいかに戦争に巻き込まれ、また自発的に関わったかの苦い記録でもある。
不勉強ながら本書を通じて初めて知ったのは、戦前は「美談」が組織的に集められ、編集されていたということだ。1923年の関東大震災の翌年には、東京府編『大正震災美績』という774ページもある美談集が発行されている。「危機に瀕して現わされたる美しき情操」「隣保共助」「報恩感謝」などのキーワードのもと、災害に直面した人たちの「美績」(立派なおこない)が称揚された。
それから13年後、1937年から日中戦争がはじまり、39年には『支那事変恤兵美談集』が発行されている。既述の「正一くん」の善行はその中に収められている。この美談集は「第三輯」まで発行されている。
巻末に掲載されている資料一覧を見ると、このほか愛知県教育会編『愛知県銃後美談集』、大阪毎日新聞学芸部編『日支事変忠勇美談集』、厚生省/国民精神総動員中央聯盟編『軍国の母の姿』、陸軍画報社編『大東亜戦争恤兵美談集』など軍官民が競い合うように膨大な「美談集」を出していたことがわかる。
さらに本書で初めて知ったのは、こうした「美談」と対になるもう一つの銃後話だ。本書は、ほとんど人目に触れることがなかった資料として、内務省警保局『銃後遺家族を巡る事犯と之が防止状況』(1939年)を紹介している。ここには支那事変が始まった1937年7月から39年3月までの銃後の遺家族、すなわち出征兵士の家族にまつわる事件が記録されている。「美談集」とは異なり、こちらは「部外秘」と記され、一冊ごとに番号が振られている。厳重に管理され、限られた人しか見ることができなかった。
上記の1年半の間に発生した出征遺家族が巻き込まれた犯罪、もしくは遺家族自身が犯した犯罪は7028件。かなりの数に上る。事変から半年ごとの統計によると、「風紀上の諸事犯」が「逐次増加しつつ」あり、「寒心すべき状況」と記されている。公になったもの以外にも「不正行為が社会の裏面に覆われて居るであろうことも想像される」とし、こうした事犯の増大が「第一線の将兵の士気に至大の影響」を与えかねないことを懸念している。
この資料の中では、番号を付して92件の犯罪例が列挙されている。出征兵士の妻に関連する性的な犯罪が多い。姦淫を目的とした住居侵入や強姦、姦通などが全体の3分の1を占めている。この紹介例からも、「銃後」の日本が、「美談」のみで語られるような綺麗事に満ちた社会ではなかったことがうかがえる。
著者の重信幸彦さんは1959年生まれ。慶応大学文学部卒。筑波大学大学院博士課程歴史人類学研究科単位取得退学。民俗学・口承文芸学・近代都市生活文化の研究者だ。著書に『タクシー/モダン東京民俗誌』(日本エディタースクール出版部)、『<お話>と家庭の近代』(久山社)などがある。
銃後の美談について資料を集め始めたのは四半世紀前からだという。あらためて取り組むきっかけになったのは2011年の東日本大震災だ。様々な「美談」がメディアで報じられたが、そうした「震災後の空気にどこか既視感があり、その感覚をたどっていくと、日中戦争期の銃後の美談を読んだ時の感覚に至った」という。そして、「災害と戦争は『非常時』という概念を媒介に通底している」ということに思いが至る。
本書は非常勤講師を務めていた東大や慶応大の授業での講義録がもとになっている。巻末には膨大な資料集が列記されている。青弓社の編集者に最初に出版を促されてから実に13年がたっているという。重信さんは「あとがき」で辛抱強く支えてくれた編集者に謝意を述べている。著者と編集者との幸せな関係がまだ健在であることを改めて感じさせる一冊でもある。
関連して本欄では『僕は少年ゲリラ兵だった――陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊』(新潮社)、『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』(光文社)、『戦後日本の〈帝国〉経験』(青弓社)、『戦争とトラウマ――不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)、『「混血児」の戦後史』(青弓社)などを紹介済みだ。
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