巨大な餓鬼像2体が立っている表紙が目に飛び込み、本書『タイの地獄寺』(青弓社)を手にした。写真の奇妙さから珍スポット・B級スポットを紹介した興味本位の本かと思ったら、違っていた。
著者の椋橋(くらはし)彩香さんは、早稲田大学大学院文学研究科で美術史学を専攻、タイ仏教美術の地獄表現を研究、博士後期課程に在籍する大学院生。本書は2016年に書いた修士論文を加筆・修正したものだ。と言っても、カラフルな写真とわかりやすい文章で、このおどろおどろしい世界を親切にガイドしてくれる。近年、修士論文が一般書籍として出版されるケースは珍しくないが、出色に面白い。
タイは人口の9割以上が仏教徒という仏教国だ。「悪いことをすると地獄へ堕ちる」という地獄思想は古くから継承され、絵でビジュアルに表現されてきた。
この教えを立体像で表現した「地獄寺」は、60年ほど前から出現、今も増え続けているという。2013年に初めて目にした椋橋さんは、以来「地獄寺」に魅了され、これまでに41県83カ所の寺院を訪れ、「地獄テーマパーク」としてではなく、美術史学の領域として研究している。
地獄寺の9割は寺院の敷地内にある屋外型だ。電動からくりや照明、音響で、より効果的に地獄を再現しようという意図があるという。
最も多いモチーフは「獄卒」だそうだ。地獄で責苦を与える役人だ。次に「地獄釜」「棘の木」と続く。日本の閻魔さまは、「ヤマ王」と呼ばれる。日本の閻魔王は中国経由で輸入されたので、中国式の官吏服をまとった赤ら顔のヒゲ面だが、タイのヤマ王は人間と変わらない姿をしている。閻魔帳がパソコンになっていたり、ヤマ王がトランシーバーを持っていたり、現代的な様式のものもあるという。
地獄に堕ちた亡者はありとあらゆる責苦を受けている。極彩色に彩られた獄卒と亡者を見ていると、なんとまあ、人間はいろいろなことを想像できるものだ、と感心する。
巨大な餓鬼像は地獄寺のランドマークになっているという。椋橋さんは、『三界経』から引用し、死後に餓鬼になる要因を次のように書いている。
「この世の人間はねたみ深く、金持ちに腹をたて、貧乏人をばかにする。人の財産をみるとほしがり、我がものにしようとする。彼らは欲深で、決して布施などしようとしない。人が布施しようとするものなら、いそいで止めにまでかかる。さらに悪いことに、僧侶の持ち物まで、あざけて奪い取るほどである。このような人間はまさに死後、餓鬼界に再生する、と説かれるのである」
タイの人が托鉢僧に親切にお布施をするのも、地獄を恐れるこうした考えが定着しているからだろう。
地獄寺は最も早いもので1956年に作られ、70年代以降に増えたという。民主化の時代が始まり、デモや警察との武力衝突、さらにクーデターなど、政治、経済、宗教的な変動が背景にある、と著者は見ている。政治批判の像、観光の側面がある像もあり、僧侶が社会問題の解決のため独自の「開発活動」として地獄寺を作った、と学問的に分析している。
日本のネット界でも「タイの地獄寺」はすでに注目され、リストもあるそうだ。だが、ほとんどが農村部にあるため、椋橋さんは、「日本人が一人で行くのは当然危ないので、必ず誰かと一緒に行ってほしい」と警告している。
本書にも地獄めぐりのような彼女の体験談がいろいろ書かれている。それでもタイの人の人情に助けられ、切り抜けたことが多いというから、人助けが根っから定着しているということだろう。
折しもいま(2019年3月24日)、タイは総選挙が行われ、反軍政のタクシン派のタイ貢献党と親軍政の国民国家の力党が拮抗し、2位の軍政派が連立によって政権をにぎると見られている。本書はタクシン派の黄色のシャツと親軍政派の赤いシャツを着た人が肩を組んで協力しあう様子が描かれた像を紹介している。「人々のこうした切なる願いは、『救い』として地獄寺の像に託されているのである」と椋橋さんは書いている。
地獄寺は今も人々のくらしの中にあり、変化しているのである。珍スポット・B級スポットとひやかすのは不信心かもしれない。
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