日本経済新聞朝刊の連載小説は、時々異色の作品が話題になる。渡辺淳一さんの「失楽園」はあまりにも有名だ。林真理子さんが2017年9月6日から18年9月2日の同紙に連載した「愉楽にて」も「お約束」どおりに大いに注目された。「美と恋に生きる男たちの情事」がテーマ。絢爛な官能美の世界と、日経朝刊という組み合わせが、ビジネスマン読者をひきつけた。
「書物を愛でるように女と情を交わし、自由になるために女から愛を求める。東京・京都・シンガポールを舞台に家柄にも資産にも恵まれた50代の男たちが甘美な情事を重ねていく――」
久坂は、大手医薬品メーカー九代目、53歳。副会長の役職と途方もない額の資産を与えられた「素性正しい大金持ち」だ。妻と娘と離れて暮らしているとはいえ、シンガポールと東京を行き来する生活で「偏愛する古今東西の書物を愛でるように」女と情事を重ねる。中肉中背の平凡な容姿でありながら、「笑うと下がり気味になる目が、なみなみならぬ淫蕩な色を潜ませている」ため、芸者やクラブのママクラスの女からたいそうもてる。また、ただのボンボンの道楽息子ではなく、京大史学科出身、能楽をたしなみ、趣味で複数の語学を習得するなど、高い教養を持つところも魅力だ。
一方の田口は、久坂がスタンフォード留学中に知り合った友人で、老舗製糖会社の三男。東大出身、男前な容姿をしている。子会社社長という飼い殺しの身だったが、急逝した妻の莫大な遺産により禁欲生活が一変する。家の軛から自由になるため女からの愛を求めていたところ、京都で46歳の芸妓と出逢い、めんどうをみることになる。
数多の女性の中で、久坂と田口を最も夢中にさせるのが中国人のファリン。ファリンは名門大学を出て、文学の博士号を取得し、上海と東京の大学で講義を持つ。50歳を超えているが充分に美しい。久坂と違い控えめな田口だが、ファリンが既婚者と知ってもなお、のめり込んでいく......。
一流の人や物を称賛する描写が多いなか、ファリンの秘書・広瀬を見る久坂の目が手厳しい。
「背が低いうえにだらしなく肉がついている体形だ。紺色のスカートから、たくましい脚が見えている。フラットシューズなので、ふくらはぎがますます太く見えた。...しゃれっ気のまるでない不器量な女...この贅沢なホテルのロビイに、まるで似つかわしくなかった」
結局、久坂は興味本位で広瀬とも関係を持つが、男性は心の中で「ひどく不格好な女」などと判定を下すのかと冷や汗が出る。ある程度年齢を重ねた時に、恥ずかしくない容姿でいなければと思う。男性目線ではなく、林さんが書いたことで、いっそう厳しい教訓と受け止めた。
本書は、哲学書のような重厚感のある装丁で、上流階級の男女の生態がありありと描かれている。彼らは生活感ゼロの、一般人にとっての別世界を生きている。食事、衣服、装飾品、住宅など最高級のものに囲まれ、限りなく贅を尽くす。久坂と田口の周辺人物たちも「ハイスペック」。こうした極端な世界で、彼らは何を思い、悩み、喜び、生きているのか。官能的な場面の巧みな描写とともに、現実には知り得ない人々の内面を覗けるのが面白い。
本書は一貫してしっとりと落ち着いた筆致で、大人の小説だと感じた。本欄では林さんの『西郷どん!』(株式会社KADOKAWA)も紹介している。
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