新書は激戦区だ。売れるためには、ネーミングも大きな要素となる。近年、『老人力』とか『忘れる力』とか『悩む力』とか、従来マイナスと思われたイメージを掲げて、ベストセラーになる本も少なくない。本書『悲観する力』(幻冬舎新書)もそうした本かと思ったら、少し違っていた。作家として大成功した森博嗣さんが、自分は悲観的だったから、いい成果を上げることが出来たとして、楽観的な日本人を批判的に考察する内容だ。
森さんは国立N大学(名古屋大学)工学部建築学科で研究する傍ら、『すべてがFになる』が第1回メフィスト賞を受賞してデビュー、以来多くのシリーズがベストセラーとなり作家専業となった。最近は『作家という職業』、『ジャイロモノレール』など多くの新書も出している。以前から「悲観力」に関する本を書いてみたいと思っていたが、ポジティヴ思考全盛の出版界にあって機会がなかったそうだ。本書で新書執筆もそろそろ卒業してもいいかな、ということで満を持して書いたのが本書である。
まず、人間は優れた予測能力のおかげで、これまで生き延びてきたと述べている。楽観、悲観両方の予測があるが、楽観は「精神論」であり、「マインドコントロールを自分にかけて、集中してことに当たれ、という手法」だという。考えない予測だとも。
これに対して「悲観」は思いどおりにいかないことを想定することであり、「結果の良い悪いではなく、予測や予定どおりにいかないことを考える」ことだとしている。
いつか自分にも幸運が舞い込むと信じる楽観的な人々、そして子どもに好きなことを自由にやらせれば伸びるという楽観が広がる現代社会は、「楽観」に取りつかれている、と批判する。その支配から解放されるヒントとして、本書を7章で構成している。
第1章 心配性で助かった 第2章 あまりにも楽観的な人々 第3章 正面から積極的に悲観する 第4章 冷静な対処は悲観から生まれる 第5章 過去を楽観し、未来を悲観する 第6章 期待と願望はほとんど意味がない 第7章 悲観できなくなるまで準備する
この中で面白いと思ったのは、第3章の「常識は大いなる楽観」という項目だ。森さんは常識を信じないことで得られるメリットがあるという。考えるからこそ、常識の壁にぶつかり、覆し、誰も発想しなかったような新しい価値が生まれるという。イノベーションの勧めだ。
森さん自身、コンクリート工学専門の国立大学助教授のとき、ある日思い立って、小説を書き始めた。どんどん計画的に書きすすめ、長編小説5編が完成した。結果的に賞を受賞し、デビューしたが、賞を狙って書いていたら、作家森博嗣は生まれていなかっただろう。
また、「悲観」がもたらす「臆病」について、第7章では、そのメリットも書いている。建築学科で教えているとき、ヘルメットを着用する実習もあった。万が一にも学生にけがをさせてはいけないので、細心の注意を払い、どんな危険が考えられるか、いつも考えていたという。学生には「恐々やりなさい」と教えた。「悲観」とは防御であるいう。そして、考えながらメモを取ることを勧める。やれることはやった、ということが自信になる、と結んでいる。
森さんは小説の執筆を卒業したと宣言したようだ。さらに好評だった新書の執筆もこれが最後になるかもしれない。人間が乗れる自作の鉄道模型の線路をめぐらした庭園など、趣味に関しては、ブログなどで今も積極的に情報を発信している。研究者、作家、趣味人と三つのありようをそれぞれ追求してきた生き方は、人生100年時代にあって、すばらしいお手本のようだと思った。そんな人生の達人が「悲観」して生きろ、と諭している本書は、楽観主義全盛の現代日本において、反時代的に見えるが、成功への道標かもしれない。
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