腸と脳をつなぐ腸管神経系は「第二の脳」とも呼ばれ、最近の研究では胃腸の異常だけでなく、脳神経系など全身の病気とのつながりも指摘され、注目を集めている。その最新の話題を第一人者のアメリカ人医師が書き下ろした本書『腸と脳』(紀伊国屋書店)は16カ国で出版されている。
大概の人が、入学試験や会社での大事なプレゼンの前には胃が痛んだり、下痢でトイレに駆け込んだり、と何らかの胃腸の不調を経験しているはずだ。一過性のケースが多いが、そうした出来事が終わっても胃腸病に苦しむ人も少なくない。紀元前5世紀に活躍した古代ギリシャの医師ヒポクラテスは「医聖」と呼ばれるが、「すべての病気は腸に始まる」という名言を残している。腸管神経系の異常や不調はパーキンソン病やアルツハイマー病など脳神経系の病気、さまざまなアレルギー病にも関係しているのではないかという研究が次々に発表されている。
著者はドイツ生まれで、アメリカ・カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)教授の消化器内科専門医。腸管神経系に関する最新の研究成果を実例とともに詳しく紹介してくれる。
教授のもとには毎日、胃腸病に苦しむ患者が訪れる。多くはどの病院でも原因がわからない重い胃腸障害だ。52歳の母親に連れられてきたビルは25歳。8年間にわたって、激しい胃の痛みと嘔吐で何度も緊急救命室(ER)の世話になっていた。わらをもすがる思いで訪れた二人に教授は家族の病歴と「発作の直前に何か兆候があるか」など2、3の簡単な質問をした。激しい不安や動悸などストレス反応が15分ほど続いた後、発作が起きるというのが返答だった。教授の診断は腸管神経系の異常による「周期性嘔吐症候群」だった。
この病気は脳と腸を結ぶ腸管神経系の何らかの異常が原因で重い胃腸障害が起きると考えられている。病気の原因を詳しく説明し、抗不安薬など何種類かの薬を処方したところ、それまで頻発していた発作が3ヶ月後の再診時までに1回しか起こらなかった。ときには心理療法も併用するが、投薬だけで劇的に改善する場合も多いという。腸管神経系の異常が胃腸にこれほど激しい症状を引き起こすことは医師の間でもそれほど知られていない。
教授は実際に診察した患者の例をもとに、腸管神経系の信号伝達の仕組みやその異常が引き起こす症状について詳しく解説する。説明は比較的わかりやすいが、ところどころに腸内細菌の名前など専門用語が突然現れるので、きちんと理解したい人は腸内細菌に関する入門書を事前に読んでおく方がいいだろう。そうでなければとりあえず、専門用語の部分は読み飛ばしてしまえばすむ。
腸内に生息する細菌類は日本では腸内細菌叢(さいきんそう)と呼ばれている。教授はマイクロバイオータと呼んで、その重要性について詳しく説明する。人の腸内には脳の重さに匹敵するほどの腸内細菌叢が住み着いていることが知られており、24時間、わたしたちの健康の維持に欠かせない働きをしている。
脳腸の相関関係をひととおり説明したうえで、教授は「食」の重要性を強調する。筆者はアメリカ人だが、動物性脂肪が多く、食品添加物や人工甘味料がふんだんに使われる「アメリカ的日常食」は健康に良くない、と批判の筆は鋭い。代わって推奨するのは動物性脂肪を控え、ヨーグルトやキムチなど発酵食品を多くとり、「腸内微生物の多様化」を図る世界各地の伝統的な食事だ。自らの経験をもとに、オリーブオイルを多用し、動物性脂肪を控え、野菜や果物を多くとる地中海式食事法が優れていることを強調する。日本版へのあとがきでも、日本や韓国、中国などアジアの伝統食が「自然発酵食品の消費量が高く、肉類や乳製品などの動物性食物の消費量が少ない点で、地中海式食事法と共通する」と高く評価する。アメリカ西海岸に暮らす教授は日本食にも詳しく、「日本食は、味覚のみならず視覚や舌触りを含むあらゆる感覚に訴えかけ、食べる人がその感覚を楽しめるよう配慮している」と賞賛する。
こうした内容に関心はあるものの、全巻読み通すのはどうもという人は第3部の「脳腸相関の健康のために」と「日本の読者へのあとがき」を読むだけでもかなりの情報が得られる。腸管神経系をめぐる最新の知識だけでなく、ひごろの食生活についてもじっくり考えさせてくれる好著だ。
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