『スローなブギにしてくれ』などの小説で、1970、80年代に一世を風靡した作家・片岡義男さんの新刊『珈琲が呼ぶ』(光文社)は、コーヒーが主役という異色の書き下ろしエッセー集だ。2018年1月の発売以来、じわじわと売れ続けている。
片岡さんの前作『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』(同)は、自伝的音楽小説で、作家デビュー前の片岡さんが描かれている。早稲田の大学生時代、3カ月の会社員生活、そして原稿用紙と鉛筆を抱え喫茶店で原稿を書いた日々。『至上の愛』(ジョン・コルトレーン) 、『雨を見たかい』(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル) 、『赤いハンカチ』(石原裕次郎)など、全篇を通して登場する121枚のレコードジャケットをすべて当時のまま、オールカラーで掲載したことで話題となった。
「あなたは、このコーヒーの苦さを忘れないで」「ビートルズ来日記者会見の日、僕は神保町で原稿を書いていた」など、仕事にはいつも喫茶店とコーヒーがつきものだったという。小説にもコーヒーがしばしば出てくる。その割にはコーヒーについて書いた文章は、短いエッセーがふたつに、やや長い散文がひとつしかなかった。そこで、編集者からコーヒーにまつわるエッセーを依頼されたという。
ザ・ビートルズ、ボブ・ディラン、美空ひばり、黒澤明、ホットケーキ、つげ義春、神保町の路地裏と、ジャンルは音楽、映画、漫画、食べ物、繁華街、喫茶店などさまざまだ。その薀蓄に感心するばかりだ。例えば、京都の静香という喫茶店の椅子がすばらしいと雑誌で知り、わざわざそのためだけに京都へ行った話。すわりやすさに感銘を受け、「喫茶店のコーヒーについて語るとき、大事なのは椅子だ」という文章に。
あるいは東京・高田馬場にあった「らんぶる」という名曲喫茶についての文章。クラシック音楽が代表する西欧の教養は日本のお手本で、「明るい明日というものの総体」だったと片岡さん。1950年の東京の喫茶店でコーヒー一杯は30円、オーダーメードの男性スーツが8000円。10年後の1960年にはコーヒーは60円、スーツは3万円になっていた。大卒の初任給は1万5000円の時代、60円のコーヒーを飲みながら、片岡さんは喫茶店で原稿を書いた。まさに仕事場だった。1時間分の席料が一杯のコーヒーだったという。現在は名曲喫茶で一杯1100円くらい。そして今、コンビニでは100円でコーヒーを飲むことができる。「千円を越える格差のあるコーヒーが、東京には存在する」。
音楽などの薀蓄も面白いが、片岡さんが週刊誌「平凡パンチ」のアンカーをしていた頃、必要に迫られてコメントを取ることもあったそうだ。三島由紀夫に電話をかけると、「言い直したり口ごもったりすることなどいっさいなしに、明晰さの具現のような喋りかたで、自分の考えをのべてくれた」という。そんな個人的なエピソードも盛りだくさんだ。
片岡さんが自宅で使っているコーヒーカップはチタン製で二重になったものだという。金属のカップは明らかに兵隊さん用品からの影響で、「進駐連合軍兵士の記憶」がつながっていると。父親が日系二世で、テディ片岡名義の本もたくさん出している片岡さんらしいカップの選択だ。
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