歴史は匿名の人々がつくる、と言われることがある。エライ人ではなく、名もなき庶民こそが主役だというわけだ。しかしながら庶民も本当は匿名ではない。一人一人に顔があり名前がある。
本書『新宿-ーゴールデン街のひとびと』(七月堂)を手に取って、ふとそんなことを考えた。タイトルの通り、ゴールデン街を支えた人、集った人たちを写真付きで紹介している。ざっと300人。
まず有名な方から。大島渚、桃井かおり、松田優作、緑魔子、船戸与一、大林宜彦、内藤陳、原田芳雄、秋田明大、赤瀬川原平、唐十郎、黒田征太郎、田中小実昌、崔洋一、沢木耕太郎、鈴木清順、たこ八郎、高橋恵子、麿赤兒、森山大道、山下洋輔、石橋蓮司、若松孝二、立松和平...。
その一方で、世間では知られていない人も多数登場する。アイちゃん、トクさん、エミちゃん、ミタさん、李ちゃん、イッちゃん、サンちゃん、ジョー、トッコさん、ミドリさん、オネマ、酋長、ハマ、ヒロシ、コバケン・・・。
著者の佐々木美智子さん(愛称・おミッちゃん)は84歳。ゴールデン街の生き字引であり、ヌシの一人らしい。北海道根室の出身。22歳で上京し、新宿・伊勢丹裏でおでんの屋台を引いたのち、映画編集や報道写真の道を歩む。写真は専門の学校でも学んだ。そして、まだ青線とよばれる売春街だった「ゴールデン街」に出入りするようになる。バー「むささび」や、歌舞伎町の「ゴールデンゲート」のママを務め、酒場のカウンターで、シャッターを切りつづけてきたという。撮りためられたさまざまな人物の顔や、それらの人々との交遊録などから、濃密で多彩な新宿文化の姿をあぶり出した、というのが本書だ。
おおむねアップの顔写真。たいがいザラついている。写された人物の名前(通称や実名)が明示され、著者による短い思い出のコメントが付く。
八丈島に移住したフーテンの元祖・ドモンは、「年賀状出しても返事が来なくなったから亡くなったんじゃないかなあ」。浅川マキさんと久しぶりにばったり会ったら、「わたしもう目が見えないの。独りで歩けないのよ」。お互い元気で生きてれば楽しいこともあるからと言って別れたが、それからしばらくして訃報を聞いたという。
表紙の扉をめくり、少し読むと、日大全共闘の議長だった秋田明大さんから1990年代にもらった手紙の一文が掲載されている。著者の佐々木さんは日大闘争のドキュメンタリーフィルムを撮るためにバリケードに通い、撮影を通じて、全共闘のメンバーと知り合う。拘置所から出てきた秋田さんは3年ほど、新宿で過ごしていたこともあり、特に昵懇だった。非常に珍しい近影も掲載されている。著者が撮影したのだろう、カメラに向かって柔和にほほ笑む「元議長」の顔がある。
店に出入りしていた日大全共闘の他のメンバーの写真も大量に登場する。50人ほどが本人の写真と名前付き。まるで形を変えた「手配書」のようだ。「全共闘」という名の匿名者の集合体が、実は一人一人、固有の顔と名前と強い意志を持った人間の集まりだったことがよくわかる。
昭和の近過去と自らの足跡を振り返った作品として、すぐに思い浮かぶのは川本三郎さんの『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』や、西部邁さんの『六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー』などだ。それぞれに貴重な体験や追憶がつづられているが、本書が際立つのは、顔写真集ということ。見方によっては「新宿の悪所・ゴールデン街・人相書(にんそうがき)」だ。
場所が場所だけに、有名無名の人物が入り乱れている。写真サイズでも登場人物のインデックスでも有名無名が同列の扱いで並んでいるところがすがすがしい。よく「等身大」といわれるが、本書は「等顔大」といえるかもしれない。「バーのママ」からすれば、みな同じお客さんであり、また、有名でも無名でも、しょせん人間に変わりはないのだというメッセージのようにも受けとれる。
本欄では昨年、寺尾紗穂さんの『あの頃のパラオをさがして』を紹介した。この「パラオ」と同じような言い方をすれば本書は「あのころの新宿をさがして」ということになるのかもしれない。戦前、日本統治下にあったパラオには3万人近い日本人が住んでいたが、太平洋戦争末期の激戦で約1万人の日本軍がほぼ全滅、元の住民は日本各地に散り散りになった。さて新宿はどうだろう。
登場人物の大半はいまや70歳以上。すでに亡くなった人も多い。ゴールデン街を根拠地として栄えたアングラ、反体制的な文化も過去の物語になった。今も街は健在だが、おそらく昔と同じではないだろう。本書を通じて「あのころ」を追想するしかないのかもしれない。
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