本書『英語のこころ』(集英社インターナショナル)は、30年前に出版され日本人の英語の問題点を指摘して評判になった岩波新書「日本人の英語」の著者、マーク・ピーターセン氏の最新刊。「日本人の英語」などでは文法を中心として、見落とされがちな、いわば盲点を指摘して、学習者を驚かせたものだ。
本書では、この30年間での「日本人の英語」の変化を論評、なお語彙が弱いと指摘する。そこで、日本の映画や小説などから題材をとって、日本語独特の表現を英語でどう再現できるかなど、両国語の語彙の違いに橋をかける取り組みに挑んでいる。
ピーターセンさんは2017年3月に、それまで31年間勤務した明治大学を退職。その後、金沢星稜大学に移り、同大で英語を教えている。
英語に対する日本人の様子は30年前と比べて相当に変わり、間違いを恐れて消極的になりがちだったものがいまでは、積極的に「しゃべってみたい」という学生が増えているという。また現代の若者の方が英語の音に敏感になっており、発音と聞き取りについて向上したことを感じている。
ただ、30年前にも「萌芽が見られた」という「語彙の貧困」は改善するどころか一層深刻になっていると指摘する。読書量が減って「日本語の国語力」についても低下現象みられるわけだから、語彙の貧困も「ある意味仕方がない」としつつも、努力して日本語の能力を身につけてきた英語教育者として、本書の心ある読者にはこう訴える。
「説得力ある英語を話したり書いたりするためには、たくさんの語彙が必要であり、それを自分のものにするには、可能な限り多くの英文を読み、それを消化し、自分のものにするという地道な努力を続けるしかない」
文部科学省ではグローバル化の進展などを理由に、国民の英語力向上を目指して小学校からの英語教科化など、質量にわたる強化や増加を計画している。英語習得のキーワードとして「努力」をしばしば用いる著者はこうした方針に批判的だ。「現在の日本のように国民全員に一つの外国語を覚えさせることは無理があると考える。語学学習は本人の自発的努力しかない。義務教育として、無理矢理英語を教えて、思うように目標を達成できないのは当然ではないだろうか」という。
本書では13のセクションに分けてさまざまな語彙が取り上げられている。そのなかには、日本語では同じ意味に訳される2つの言葉の使い分けや、冠詞の用法、日本語の擬態語の英語での伝え方など、英語に多く接してこそわかってくる例も多い。
英語学習者にとって十分にはなかなか理解できないものの一つに「冠詞」がある。著者は「英語の冠詞が出す意味を日本語では簡潔に表せない場合」に紙数を割いて、まず、不定冠詞「a」が人の名前に付けられている例を説明する。
米コメディー映画「ザ・プレイヤー」(1992年)の1シーン。舞台の映画スタジオにLarry Levy(ラリー・リービィ)と名乗る人物から電話があり受付女性が応対した。「誰からだったの?」と尋ねる社長秘書。受付女性は「A Larry Levy」と答える。DVDの字幕では「ラリー・リービィ」なっていたのだが、著者によると、不定冠詞「a」が名前の前にあることによって「私は聞いたことのない人だけど、ラリー・リービィという名前だった」という意味になるという。字幕とは微妙にニュアンスが異なるわけだ。
これが定冠詞「the」だとどうなるか。「Her name is Kitagawa Keiko, but she's not the Kitagawa Keiko」は「彼女の名前は北川景子ですが、あの<有名な>北川景子ではありません」となる。
日本文学研究者でもある著者は、これまでの著作と同じく、文学作品の原著と、英訳版を比べて語彙の橋渡しを試みている。おもなものは、夏目漱石の「こころ」と谷崎潤一郎の「細雪」。英訳版は「こころ」が英国人の日本文学研究者、エドウィン・マクレランによる「Kokoro」、「細雪」が米国人の日本学者、エドワード・G・サイデンステッカーによる「The Makioka Sisters」だ。
「Kokoro」の項では「heart」と「mind」の使い分けなどについて、「The Makioka Sisters」では、著者が「日本の学校英語では一般的に教わらない用法かもしれない」という、倒置されない疑問文のニュアンスなどについて説明。原書と訳書の読み比べを勧めている。
訳書のタイトルについていずれも、熟考の末に、こちらに落ち着いたらしい。「The Makioka Sisters」は、原題に比べると味わいが劣る感じがするが、著者によると、チェーホフの「Three Sisters(三人姉妹)」を連想させ、読者が「幾分かの興味を持つ」と考えられるという。評者は以前、米国の書店の推理小説のコーナーで「Inspector Imanishi Investigates」という本をみつけて「イマニシ警視? 警部?」と手に取りパラパラとめくり松本清張の「砂の器」だと分かって、原書のタイトルの役割が英訳では置き去りにされているなと感じた覚えがある。
30年前の「日本人の英語」では、冒頭の章で「a chicken」と冠詞のない「chicken」の意味の違いの大きさを示すなど、語法や文法の盲点ともいえるところを指摘して、学習者らの間に衝撃をもたらしたものだが、本書は、英語に対する知識を深めるためのエッセイ集となっており、読み物として楽しめる。
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