社会科の中で、あまり人気がないのが「倫理」だ。今は「公民」という科目の中にあるらしい。ソクラテスあたりから始まる立派すぎる先哲についての授業を聞いているうちに、ついつい居眠りしてしまう...。
ところがこの「倫理」という言葉は、社会に出ると俄然パワーを増す。とりわけ近年、その傾向がある。「企業倫理」「生命倫理」「医療倫理」「科学者倫理」「政治倫理」「マスコミ倫理」などなど、あちこちで問われまくっている。さすがにソクラテス以来の伝統がある学問だと痛感せざるを得ない。
本書『理系の学生と学ぶ倫理』(晃洋書房)は、その倫理を「理系」というフォーマットの中で考えたものだ。一般には倫理学は「文系」の学問と思われており、研究者の大半も文系出身者なのに、なぜあえて「理系」なのか。
著者の上杉敬子さんは2010年、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了、博士(社会学)。愛知工科大学工学部非常勤講師をしている。おそらく工学系の大学で教えていることから、「理系」が付いたのだろう。実際に工学系の学生を前に、著者が授業をしている感じで話が進んでいく。
最初はいきなり「エアコン」の話で始まる。部屋の中にA、B、Cの3人がいる。Aは「できるだけ低い温度でギンギンに冷やすのが好き」、Bは「26度の時が気持ちがいい」、Cは「冷えすぎると体調を壊すので、できれば29度に」。倫理とエアコンに何の関係があるのかと思うが、このような状況で「落としどころ」を探るのも「倫理」の仕事だという。さてどうするか。著者はかなりのページを割いて説明しているので、種明かしは避けておこう。
倫理学と言うと、非常に観念的、抽象的な学問だと思われがちだが、著者は次々と具体的、実践的な例題を出していく。自動回転ドアやシュレッダーで予想外の大事故が起きた事例とか、福知山線の脱線事故とか。学生はたいがい、きわめて単純な答えを用意するが、著者は別の答えもありうることを提示する。
一般に高校までの理系の教科では、答えが一つしかないような問題を解くことが多い。公式や数式から、唯一の正答が導きだされる。ところが実際には、解答がすぐに見つからなかったり、複数の答えがぶつかり合あったりケースが起きる。
文系の場合、そうしたせめぎ合いがむしろ普通だ。「憲法改正は是か非か」「アベノミクスは是か非か」など、どんな問題でも複数の「解答」が出て来る。
本書があえて「理系」としている背景には、そうした事情もあるのだろう。単線系の思考に陥りがちな工学部系の学生に、複眼的な見方の訓練をさせようという狙い。「企業倫理」「生命倫理」「医療倫理」「科学者の倫理」などは学生たちがいずれも実社会で直面することでもある。
著者はまだ若く、本書が初の単著のようだ。話の運びや事例もユニーク。これからの活躍が期待できる人だと思う。
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