アメリカの認知科学者2人が最新の成果をもとに、私たちが知っていると思い込んだり、勘違いしたりしがちなことやその問題点を解説してくれたのが本書『知ってるつもり 無知の科学』だ。アメリカでは昨年発売されたが、トランプ大統領が自分に都合の悪い報道を「フェイクニュース(偽のニュース)」と非難し続けたこともあって、発売とともに大きな反響を呼んだ。認知科学という言葉は日本ではまだなじみが薄いが、心理学、経済学、コンピューター科学などを総合した新しい学問分野だ。2017年、認知科学の応用分野ともいえる行動経済学の権威、シカゴ大のリチャード・セイラー教授がノーベル経済学賞を受賞、人間の行動を分析する新たなツールとしても注目を集めている。
序章の最初に書かれているのが1954年に起きた第五福竜丸事件。南太平洋でアメリカが実施した水爆実験の死の灰が安全なはずの海域にいた日本漁船に降り注ぎ、乗組員一人が急性放射能症で死んだ痛ましい事件だ。これは水爆の爆発の威力が推定の3倍も大きかったために起きたという。なぜ多くの専門家が大きく誤ったのか。「人間の知性は天才的であると同時に哀れをもよおすほどお粗末で、聡明であると同時に愚かである」という実例として紹介されている。被害にあった立場の日本人としては少し違和感があるが。
次に登場するのは水洗トイレ。生活になくてはならないものだが、水が流れる構造をきちんと知っている人はほとんどいない。言われてみれば確かにそうだ。少し詳しい人はサイホンの原理を応用して水が流れることは知っていても、詳しい構造までは知らない。「私たちは知識のコミュニティの中に生きている」と筆者は説明する。暮らしているコミュニティに知識があれば、個人は生活に困らない。個人はコミュニティの知識をあてにすることができるからだ。
だが「知ってるつもり」だけでは思わぬ悲劇が起きることも避けられない。2009年に海に墜落、228人の犠牲者を出したエールフランス機の事故では機体が失速し、機首を下に向けなければならない場面なのに、逆に上に向けたことで墜落したことがフライトレコーダーなどの解析でわかった。なぜ、こんなことが起きたのか。アメリカ連邦航空局は「パイロットが自動操縦装置に依存しすぎたため基本的な手動操縦能力を失ってしまい、不慮の事態に対応できなかった」と結論づけた。これを著者は自動化のパラドックス(逆説)として、人間が過度に自動システムに依存したために起きた例として紹介している。
「人間の知」はコミュニティのいろいろな場所に分散している。それをみんなが協力して分業・協業するから社会は結果としてうまく機能していく。天才一人ができることには限界がある。教育は自分が何を知らないかを知り、どこに知識があるかを知る方法を知るべきだという著者らの論理には説得力がある。
最近の認知心理学ではナッジ(軽く突くこと)が重視されている。「意思決定者が本当に望んでいることと整合性のある判断を勧める環境を整える」という意味だ。金融知識を例にとって、①専門知識をわかりやすくかみ砕く、②意思決定のための簡単なルールをつくる(たとえば収入の15%は貯蓄に回すなど)、③ちょうど必要とするとき(ジャスト・イン・タイム)に情報を提供する、④自分の理解度を確認する、という4つの方法をナッジの例として挙げている。
本書にフェイクニュースに対抗する直接の処方箋が書かれているわけではない。だが、私たちが思考し、生活するうえで陥りやすい錯覚や罠がどこにあるかを丁寧に示してくれる。「私たちは自分が思っているよりずっと無知である」と言われるとあまり面白くないが、人間の知的営みは集団的なものなので、個人の知識や知能よりも「集団にどれだけ貢献できるか」を賢さの基準にすべきだ、と言われると確かにそうだなとも思う。他者の立場や感情を理解する能力、効果的に役割を分担する能力、周囲の意見に耳を傾ける能力についても知能の重要な構成要素だといわれるとそうかも知れないな、とうなずいてしまう。
認知科学の入門書として読むだけでなく、各章に散りばめられた、さまざまな問題に挑戦する「頭の体操」として読んでみても面白い。たとえば「科学について考える」の章ではアメリカの科学委員会が国民の科学への理解を知るために尋ねた代表的な12の常識問題も掲載されている。「宇宙は巨大な爆発とともに始まった」(正解、正答率38%)「抗生物質は細菌とウイルスの両方に効果がある」(誤り、正答率50%)など。あなたはいくつ正解できるだろうか。
著者の二人は認知科学者。スティーブン・スローマンはブラウン大学教授。フィリップ・ファーンバックはコロラド大学リーズ・スクール・オブ・ビジネス教授。
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