野球の試合や練習でたまに、とんでもなく的外れの投球や送球を見ることがある。どうやらそれは「イップス」とよばれる運動障害のせいらしい。思い通りのアクションができなくなるもので、野球に限らずさまざまなスポーツ界で、その症状に悩む選手たちは多いそうだ。症状は、草野球など趣味の愛好家の間にもみられるという。イチロー選手も2年前のテレビインタビューで、高校時代からしばらく悩まされたことを告白している。
本書『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』(KADOKAWA)は、トラブルを克服してみごとなプレーを見せた元プロ野球選手3人とゴルファー2人のインタビューを中心に、専門家や研究者らの声を交えてイップスの実態に迫ろうとしたもの。これまでは隠れていたアスリートのアナザーストーリーが掘り起こされている。著者の澤宮優さんは、スポーツをテーマした作品を数多く手掛けているノンフィクション作家。
日本ハムで1990年代後半から2000年代初めにエースとして活躍した岩本勉さん(現解説者)は、アマチュア時代からその兆候はあったというが、プロ入りしてからしばらくは、それが悪化というか、深刻化というか、いわゆるノーコンがなおらず苦しんだ。「ノーコン」は「イップス」という言葉が知られる前に、投球がままならないピッチャーを揶揄する場合にも使われた。
練習でも投げては暴投の連続。打撃練習に投げようとすると怖がって誰もケージに入ろうとしない。投球練習ではワンバウンドのボールが捕手のわき腹を切ったことがありブルペンで受けてくれるキャッチャーがいなくなったこともあるという。
岩本さんは大阪でリトルリーグに所属していた小学校時代にその兆候があったかもしれないと振り返る。中学、高校時代も「マウンドに立ってみないと調子が分からない」状態が続いていた。しかし体が強く球威は抜群。「破れかぶれでど真ん中に投げて何とかやれていた」
1989年のドラフトで2位指名され90年に日本ハム入り。残念ながらプロの世界ではそれまでのスタイルでは通せなかった。だましだましで何とかならなくなり、ちょっとしたきっかけで悪化に向かうことに。2軍でのバント処理の練習。マウンドに立つとストライクが入らず練習にならない状態が続く。守備位置につく野手らから、いい加減にしてくれというように舌打ちが頻繁に聞こえてくるようになる。この経験が積み重なり次第に深刻になっていたという。
しかし、当時のコーチらの熱心な指導のほか、夜中まで嫌がらず練習に付き合ってくれた後輩選手らの協力を得てイップスを克服。6シーズン目の95年に5勝を挙げ、96年には10勝。98、99年と連続して2ケタ勝利をマークした。
岩本さんは、イップスであることを公表している数少ない選手の一人。「公言した方が早く治る」という。プロ野球界にはイップス持ちの選手は多いが、そのほとんどは明らかにしたがらないという。試合中にそのことを相手チームからヤジられたりすれば気になって悪化するかもしれない懸念があるからだ。著者は本書で、取材を断られた経験が少なからずあることを明かしている。
イップス克服の経緯が本書で述べられているのはほかに、日本ハムで活躍し横浜DeNAや西武でもプレーした外野手、森本稀哲さん(現解説者)、ヤクルトで活躍して内野手、土橋勝征さん(現ヤクルトコーチ)、ともにプロゴルファーの横田真一さん、佐藤信人さん。
横田さんは93年にプロテストに合格、25歳の時の97年に初優勝を果たしたが、その後、アプローチイップスに襲われた。優勝争いをしていた2004年のツアーで腕に電気が走るような感覚がありパットが入らなくなったという。その後、横田さんは専門家らに相談しながらイップスについて学び、自律神経の乱れが関係していると考えるようになる。「腸内環境」を整えることが自律神経の安定につながると理解し、そのために呼吸法などの訓練を採り入れて「魔病」を克服。10年のトーナメントで当時売り出し中の石川遼選手に競り勝って13年ぶりの2勝目を挙げ復活を果たしたものだ。
横田さんは後に、教えを請うた専門家がいる順天堂大学にさらに研究の機会を求め、同大大学院の医学研究科の修士課程に合格。「プロゴルファーにおける自律神経とパフォーマンスの関係」という修士論文を仕上げた。
イップスになる原因は心理面にあるとも、身体的な何かの作用とも言われるほか、横田さんらが自律神経の問題を指摘するなど、はっきりわかっておらず、そのため、確実な治療法もないという。本書に登場する5人はいずれも克服に成功したが、その一方で、魔病を乗り越えられずアスリートの道を断念した人も数多いという。
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