日本史ブームということで多数の本が次々と出ている。通史的なもの、通説に挑戦するもの、あるいは時代やテーマを絞ったもの、など本の作り方はさまざまだ。
本書『伝奏と呼ばれた人々』(ミネルヴァ書房)は、「公武交渉人の七百年史」というサブタイトルでも明らかなように、朝廷と将軍(武家権力)の間を取り持った「公武交渉人=伝奏」の役割や歴史をたどったものだ。パターンとしては『流罪の日本史』などと似ているが、あまり知られていない「伝奏」という職種に注目し、スポットを当てたという点では労作といえるのではないか。
日本史上の争乱を振り返ると、平安時代までは朝廷内の抗争、それ以降は、武家内部の覇権争い、さらにはそこで勝利し権力を握った幕府・将軍と、天皇・上皇・朝廷との対立抗争が多いことに気づく。承久の変、正中の変、建武の中興などは教科書でもおなじみだ。江戸時代になると、争乱こそ起きなかったが、禁中並公家諸法度で朝廷の行動は幕府によって抑え込まれ、幕府優位が続いて、明治維新で公武関係がひっくり返る。
そうした大まかな朝廷と幕府の関係は、よく知られているが、常に喧嘩をしていたわけではなく互いに利用し合った時もあるだろう。権威や権力を巡って平時や戦時に両者はいったいどうやって意思疎通していたのか。いきなりトップ会談とはいかないのは、やや事情は違うが、今日の国際関係でも同じだ。そもそも江戸時代などは、将軍と天皇が顔を合わせることはほとんどなかったはずだ。誰かが下工作やメッセンジャー、密使をする必要がある。
本書は、朝廷と武家政権が交渉を行う際に、誰が窓口になったのか、誰が交渉役を務め、その任務はどうだったのかという、ある意味では素朴な疑問をもとに、歴史をさかのぼり丁寧に調べ上げたものだ。歴史史料を調査・研究し、その成果を公開する目的で2007年につくられた「日本史史料研究会」の監修。執筆陣には10人の研究者の名が並んでいる。比較的若手が多い。
なぜ「伝奏」について、これまで余り研究されてこなかったのか、不思議に感じる読者も少なくないだろう。中心的な執筆者である神田裕理・中世内乱研究会副会長はその理由をおおむね次のように記す。
・太平洋戦争以前は皇国史観のもと、天皇や朝廷を研究すること自体、はばかられる風潮があった。
・敗戦後は皇国史観に対する反発から、ことさら天皇や朝廷を研究対象とすることを避ける風潮が生じた。また、マルクス主義史学の台頭によって、主に経済的側面から社会構造を探る研究が主流となり、天皇や朝廷に関する研究は低調だった。
というわけで、公武関係史の中で「伝奏」が果たした役割などの研究が進んだのは比較的最近のことだという。
本書は「鎌倉時代」、「南北朝・室町時代~戦国・織豊期」、「江戸時代」などに分けて、それぞれの歴史の節目で「伝奏」の立場にあった人たちが果たした役割に迫る。幕府と朝廷の間で板挟みになったり、果ては失脚したり。神経を使う職務だったようだ。江戸時代は将軍がほとんど京都に来なくなったので、「武家伝奏」(朝廷側の窓口で、朝廷執行部の一員)は、少なくとも年に一回は江戸に出向き、将軍に会っていた。数十人の随員を連れていたというから、半端ではない。とりわけ風雲急を告げた幕末は大忙しで、関係者の間を走り回った様子がうかがえる。朝廷内の根回しや幕府との水面下の交渉など、なんだか安倍政権の首相秘書官のような役回りだ。
有名な「安政五年の条約勅許問題」では、老中堀田正睦との間で交渉に当たっていた武家伝奏が、幕府寄りということで朝廷内部で非難され、辞職に追い込まれたそうだ。本書は学術書ではなく一般啓蒙書とされているが、内容は精緻で、各執筆者の熱意が伝わる。江戸時代最後の「武家伝奏」は飛鳥井雅典と日野資宗。飛鳥井の子孫は、のちに歴史学者として活躍し、『明治大帝』などを残した飛鳥井雅道だ。明治になってこの職種はなくなったというが、形を変えて存続していたような気もする。内大臣など天皇には何人かの側近がいた。今後のさらなる研究がまたれるところだ。
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