相撲界のゴタゴタはもう収まったのだろうか。宴席で横綱が下位力士を殴打したことで土俵を去り、この事件を強く告発していた元横綱の親方は、自身の部屋での暴力事件もあって、振り上げていた拳を下す。
騒動が週刊誌やテレビのワイドショーの好餌になり、連日のように報じられた。ファンにとってはやりきれない。いったい相撲の世界はどうなっているのかと、眉をひそめた人が多いのではないか。
そんな折、本書『横綱の品格』(ベースボール・マガジン社)が目に留まった。「新版」と銘打たれている。元々は08年に刊行された新書の復刻・改訂版だ。この新書にはさらに元本がある。『相撲求道録』(1956年、黎明書房)、『復刻版 相撲求道録』(1979年、ベースボール・マガジン社)と、半世紀以上にわたって何度も復刻を繰り返してきた相撲界の名著なのだ。
著書の双葉山は不朽の69連勝であまりにも有名だ。相撲史の頂点にそびえる大横綱。それだけではない。「品格」の面でも評価され、心技ともに力士の模範とされた。本書はその双葉山が人生を振り返り、相撲の道を説いたものだ。確かに今の時代にはぴったり。それで急きょ復刻されたのだろうか。
1912年、大分県に生まれた双葉山は、当時の多くの子供たちと同じように貧しかった。父は多額の借財を背負い、小学校5年ごろから帆船で鉱石を運搬する父の仕事を手伝った。14歳の時には嵐で船が転覆、テンマ船に拾われ九死に一生を得た。
近村の奉納相撲で怪腕ぶりを発揮し、地元の新聞で報じられたのが相撲界入りのきっかけになった。「家もこんな有様では仕方がない。強くなって帰ってきてくれ」というのが、息子を送り出す父の苦渋の言葉だった。
戦前の相撲界のことだ。稽古の激しさは並大抵ではなかっただろう。兄弟子の威張り方、新入りの「かわいがり」もハンパではなかったはずだ。でも双葉山は平気だった。
「郷里にいるとき船乗りの生活を体験したわたしは、べつに苦しいと思ったことはありません」
「大勢の兄弟子のうちには、意地悪い人もいなかったとはいえないでしょうが、それが自分の発奮の動機ともなれば、それでよいわけです」
少年時代の海上生活の体験は「忍苦」の精神を鍛えていたという。重労働の連続。それも長時間。もうひとつ、船の動揺によって自然に腰を強くすることができていた。そういえば同じく大分出身の怪腕・稲尾和久も、幼い頃から漁業を手伝い、下半身をつくったと言われていたのを思い出した。
双葉山は中学に進みたかったが、家計の事情で断念したそうだ。故田中角栄元首相などと似ている。戦前は誰もが上の学校に進めたわけではなかった。しかし、自己研さんは怠らなかったようだ。69連勝を阻まれたとき、「我、 いまだ木鶏たりえず」(木彫りの鶏のように全く動じない状態に達していない)と、故事の一節を呟いたのは有名な話だ。あとがきで大鵬が書いている。双葉山は、相撲が強くなると同時に「人間としてもとてつもなく大きくなっていった」と。
本書は相撲道の心得を説いたものだが、どの業界でも通じる納得できる言葉が多い。不世出の大横綱の回顧録だから当然だろう。お手軽なビジネス書を読むよりは、はるかに心に届いて有益だ。
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