著者の評論家呉智英氏は名古屋市生まれ。東京で評論、著作活動を続けてきたが、両親の介護のため1999年に郷里に帰り以後名古屋市に住んでいる。そんな名古屋に詳しい氏が驚いたのは、根拠のないでたらめな名古屋論が流布し、マスメディアがそれを取り上げることによってさらに誤解が増幅する悪循環が続いていることだった。郷土愛からではなく、こうした知的頽廃を見過ごすことが出来ないと筆誅をふるったのが本書『真実の名古屋論』(KKベストセラーズ)である。
やり玉の筆頭に挙がっているのが「県民性評論家」として知られるI氏(本書中では実名)である。名古屋本に限らず、『博多学』『札幌学』『県民性仕事術』など県民性に関する著作が数多く、県民性についてコメントをしばしばメディアに寄せている。著者はI氏が誤読を大前提に一冊書き上げたのが『中国人と名古屋人』(はまの出版)だと指摘する。内村鑑三が「余の見たる信州人」という小文の中で「中国人のごとき、名古屋人のごとき」と並べ、こきおろしているのが同書の発想の原点となっている。しかし、明治・大正の人、内村が指した「中国人」とは、「広島の人、山口の人、すなわち中国の人、中国人」である。大陸に住む人は当時「志那人」と呼ばれた。その誤読を基にいかに両者が似ているかを論じているというのだ。すでに何度もこの件は指摘しており、現在同書は絶版となっているという。
このほかにも地理学者A氏(本書中では実名)が書いた『愛知県人と名古屋人』(玉川大学出版部)の性器信仰論や愛知県在住の会社員U氏(本書中では実名)による『知ってトクする名古屋の事典』(東洋経済新報社)の方言論などの誤りを具体的に取り上げている。
多くの名古屋論の中でもよく語られるのが「文化不毛の地」ということばである。著者は日本近代小説の祖である坪内逍遥と二葉亭四迷がともに名古屋出身であることや探偵小説のパイオニア江戸川乱歩も名古屋人(生まれは三重県)であることを紹介し、その虚妄をついている。
考えてみれば、この種の県民性話がメディアによく登場するようになったのは、割と最近のことではないだろうか? 2007年から始まった日本テレビ系で放送されている「秘密のケンミンショー」あたりの影響が大きいのかもしれない。最近はまじめに「上司は〇〇県出身がいい」とか「結婚するなら男性は〇〇県出身がいい」など県民性による違いが雑誌の特集に登場する。もちろん、昔ながらの血液型や星座による分類もしぶとく残ってはいるものの手垢がついた。とりわけ血液型には批判もあるので、「県民性」は使い勝手がいいということなのか。
経済格差や学歴で人を見るのはシリアスすぎてはばかられるが、県民性なら笑って済ませることができる。県民性は差異化の最後のファンタジーかもしれない。もっとも無知や誤りは正さなければならない。名古屋批判はタモリが広めたともいわれるが、そのタモリも最近、「ブラタモリ」で和解したと聞く。
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