「新しい戦前」。この言葉を流行らせたのがタレントのタモリだということは、よく知られている。2022年に黒柳徹子との対談で、「来年はどんな年になると思うか」と聞かれての答えである。ただ、タモリはその内容については何も語っていない。
では「古い戦前」とはいつか。破滅的な結果に終わった1945年の「敗戦」の前の日本ということになる。それを知らずして、「新しい戦前」を語ることもできないはずだが、すでに戦後生まれが日本人のほとんどを占めるなかで、これは容易なことではない。
そうしたときに、近現代史研究家である辻田真佐憲さんによる『「戦前」の正体』(講談社)が出た。私たちがおぼろげにイメージしている「戦前」というものの正体にはっきりとした輪郭と内実を与えてくれる一冊であり、学術書とノンフィクションの性格も合わせ持った新書としての役割を十二分に発揮している。
「古い戦前」は明治維新にはじまり、77年後の1945年に終わった。2022年はそこから再び77年が経過したことから、昨年にかけて「77年論」ともいうべき議論が一時的に盛り上がったこともあったが、2022年7月の安倍晋三首相銃殺事件によって、一気に掻き消された感があった。
今一度、明治維新から77年にわたる「大日本帝国」とは何だったのかをたどる本書が抉り出すのが、「戦前」が「日本の神話」を再発見する過程であり、かつ現実社会への過剰適用の時代といえる。日本の神話とは、「古事記」「日本書紀」であることはいうまでもないが、こうした書物が江戸時代の国学や水戸学を通じて復活し、倒幕思想の後ろ盾になったことは知られている。
だが、明治維新以降、「記紀」の解釈は現実を圧倒していく。「記紀」を神話から「実在の歴史」として読み替え、さらには明治天皇をはじめとする皇族に当てはめていく統治者の行為を掘り起こしながら、戦前の正体に迫っていく。
実在したとは思えない初代神武天皇を明治天皇になぞらえる手法はその典型である。現代のわれわれは、それを一笑に付すことができるのだろうか。戦後、2月11日の「紀元節」を「建国記念の日」として復活させ、すでに「国民の祝日」として定着しているだけでなく、皇室や皇室祭祀に基づく祝日は少なくない。
日清戦争や韓国併合なども、古代の「三韓征伐」という神話的「故事」にならって正当化されていったことや、「八紘一宇」というスローガンも神話が元になり、「特別な国」としての日本の意識を国民に植え付けた。
当時の新聞メディアは、先を争って「神話」を事実として取り上げ、「国威発揚」に協力するとして、部数拡張のための宣伝やイベントに利用した。その有様は、最近の東京五輪やワールドベースボールクラシックをめぐる報道と何も変わっていないと感じさせる。
もはや、アマテラスの神話を史実と信じる人は少ないだろう。だが、「国をまとめる」ためには、「物語」は必要だというのが著者の考えだ。戦前の「物語」を採点すれば、国民をまとめ、欧米の植民地化を免れたという意味で「65点」ともしている。
ひるがえって、「戦後」の日本は、民主主義と象徴天皇、そして戦争放棄という「物語」から出発したといえるだろう。だが、そうした物語が色褪せて見える中で、再び、日本で「記紀神話」が物語として息を吹き返すことはないのだろうか。
ロシアによるウクライナ侵攻や中国の台湾武力統一の懸念の高まりのなかで、岸田首相が「敵基地攻撃能力」の保有に舵を切ったことによって、「戦前回帰」を危ぶむ声は少なくない。日本は日本人が守るという意識は着実に広がっている。
そうした現実の前に、日本の国民は「記紀神話」に頼らない新しい「物語」を作ることができるのか。大ヒットしたアニメの中に記紀神話の構造が潜り込んでいるという本書の指摘は鋭い。
まもなく、「戦前の物語」の象徴である靖国神社周辺が騒がしくなる季節がやってくる。「新しい戦前」をどう捉えるにせよ、「戦前の正体」を知ることが不可欠であることを本書は教えている。
■辻田真佐憲さんプロフィール
つじた・まさのり/1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『防衛省の研究』(朝日新書)、『超空気支配社会』『古関裕而の昭和史』(以上、文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、共著に『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社)、『新プロパガンダ論』(ゲンロン叢書)、監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)、『文藝春秋が見た戦争と日本人』(文春ムック)などがある。
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