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忙しい人ほど自分をちゃんとケアしてあげて――パナソニックホールディングス執行役員 松岡陽子さん

選択できる未来をつくる

 ロボット工学や人工知能(AI)の研究者として知られ、グーグルやアップルなどグローバル企業の幹部として活躍してきた松岡陽子さん(51歳)。アメリカで夫と4人の子どもたちと暮らし、仕事と家庭の両立に奮闘するワーキングマザーだ。2019年にパナソニックに入社し、21年には子育て世帯や共働き家庭のための「Yohana(ヨハナ)」という新サービスを立ち上げた。まさにスーパーウーマン、遠い存在かと思いきや、親しみやすくチャーミングな女性だ。今年3月には自身の経験を共有し、これからの時代を生きるヒントにしてほしいと初の著書『選択できる未来をつくる』(東洋経済新報社)を上梓。そんな松岡さんに、本書に込めた思いや、「なりたい自分」に近づくにはどうすればいいのか、お話を伺った。

(取材・文/歌代幸子・ノンフィクションライター)

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松岡陽子さん

日本より厳しい? 米国ワーママ事情

――4人のお子さんを育てながら企業の要職を務めるのは、かなりハードなことだと思います。アメリカでは仕事と家事育児を両立しやすい環境が整っているのでしょうか。

松岡(以下略):アメリカは女性が働く環境も進んでいると思われがちですが、必ずしもそうとは言えません。私は4人の子どもを産んだとき、産休・育休をちゃんと取れたことが一度もないんです。最初に双子を授かったときはカーネギーメロン大学の教授でしたが、大学に問い合わせたら「あなたが最初だから、ルールを作ってね」と。2回目の出産のときも同じでした。そして3回目のときはスタートアップ企業にいたのですが、ルールはなく、育休は取れないと言われました。大手企業では6カ月ほど取れるところもあるけれど、会社によって差がありますし、子どもを産んだら仕事を辞める人も多いのが現状です。

――意外です。葛藤もあったかと思いますが、どんなふうに乗り越えてこられたのですか?

 最初は、すべて自分でやらねばと思っていました。アメリカでも家事は女性がやるべきだ、子育ては夫より自分の方が上手にできるからと、女性が担っている家庭がほとんどです。私は日本で専業主婦の母に育てられたので、なおのこと"良いママでいなければ"という気負いがあったように思います。子どもを産んで、大学で教え、家事もすべてやっていた頃は、「これは絶対無理!」と何度も音を上げました。その度に自分が抱えていることを全部書き出し、どれをやめられるだろうか、掃除は代行サービスを試してみようか、これは夫に任せよう、などと見直してみる。たいていやめるのは家事関係ですね。それでも時間は足りなくて、やむなく仕事の中でも手放せることを考えるとか。それが20年くらい続いています(笑)。

――仕事も家事も目の前に山積みになると、優先順位をつけるのはなかなか難しいもの。そんなときは何をいちばん優先していますか?

 やっぱり子どもと一緒に過ごす時間です、毎日必ず一人ひとりと話す時間を作ることを大切にしています。学校や習い事に通う子どもたちの送り迎えをするのが私の日課なのですが、車で移動する25分間はおしゃべりタイム。あとは一緒にお昼ご飯を食べるとか、4人にバランスよく時間を作ることは絶対にギブアップしません。駐車場で仕事をすることもしょっちゅうありますよ。
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この日もお子さんのテニスレッスンの待ち時間にリモートで取材に応じてくれた。(編集部撮影)

忙しい人を助ける「次世代コンシェルジュサービス」

――松岡さんが立ち上げた「Yohana(ヨハナ)」とはどのようなサービスですか?

 日々の忙しさに追われる人を手助けする「次世代コンシェルジュサービス」と説明しています。特に家族のウェルビーイングをお手伝いするサービスですね。アメリカでは50州で利用され、日本でも神奈川県からスタートし、今年2月には東京都で始まりました。サブスクリプション方式で、 日々のやらなければならないことや、やりたかったこと(Todo)をヨハナに頼むと、コンシェルジェが選択肢をどんどん提案し、Todoの解決に向けてサポートしていきます。
 例えば、忙しい日々の中で毎晩の献立を考えるのは辛いことで、「ママ、今日の夕ご飯は何?」と聞かれるだけでイラッとしてしまうこと、ありませんか? ヨハナに頼むと、レシピを考えて、買い物リストを送ってくれたり、ネットスーパーで買い物代行もしてくれる。忙しくて夕食の準備ができなければ、テイクアウトのお店を提案することもできます。家のメンテナンスや家電が壊れて困ったときなども、どの業者が安くて信頼できるのかと相談すると、すぐ調べて、予約までしてくれるのです。
 私自身もヨハナにかなり手伝ってもらっています。子どものプレゼントや友だちにちょっとしたギフトを贈るときも、大まかなアイデアと予算を伝えると、いろいろな選択肢を提案して配送まで完了してくれます。お誕生会も仕事が忙しくて、母親としてちゃんとできていなかったのですが、ヨハナに頼んだら、NYで人気のケーキを頼み、泊まりに来る子たちにはお揃いのパジャマを用意してくれて、私も一緒に座ってエンジョイできました。

――最近では「ChatGPT」などAIを使ったサービスも話題になっていますが、ヨハナでは、ユーザーが直接コミュニケーションを取る相手は人間なのですね。

 AI研究者である私が、なぜ人間を介在させたビジネスを始めたのか。最先端で仕事をしてきたからこそ、現時点ではAIだけでは人間のニーズに対応できないと判断したのです。
 ヨハナでもAIを使っていますが、本当に合っているのか、良いインフォメーションなのかを人間が判断しています。もちろん今後はAIが勢いよく伸びていくことも確かなので、このサービスをもっと安く幅広く提供できるようにするためには、私たちももっとAIを活用していかなければと思っています。
 ただ、私がシリコンバレーでものすごく学んだのは、テクノロジーがいくら優れているからといって、それだけではユーザーが本当に使いやすいものや欲しいものにはならないということ。人間にとって何が必要で、どうすれば暮らしが良くなるのかをちゃんと把握して、それに合ったテクノロジーを取り入れていく。ヨハナは何よりユーザー・ファーストを大事にしています。

――松岡さんのミッションは「テクノロジーを使って、人を『なりたい自分』にすること」と書かれています。具体的にはどういうことなのでしょう。

 私が大学で研究していたのは、障がいがある方や身体を動かせない方のために、ロボットを作ること。例えば、水泳が好きだったのに腕を失くして泳げなくなってしまった女の子のために、小さな力で動かせて泳げるようにロボットアームを作りました。つまり、テクノロジーを使って自分がやりたいことを実現できるようにしてあげることですね。
 身体に支障はなくても、「なりたい自分」をあきらめている人もいます。子どもは欲しいけれど、仕事と両立できないからと出産をあきらめるのならば、家事をどんどん手伝うサービスを開発する。目に見えないところでもテクノロジーを使うことによって、自分がやりたかったことを選択できるような手助けをしたいと思っています。

「パッション」だけでもいい

――目の前のことに追われていると、自分は何をやりたいのか、どんな生き方をしたいのかと考える心の余裕もないまま、時だけが過ぎていく気がします。

 自分のミッションが何かわからないし、どうやって探したらいいかもわからない。そんな話をするだけでストレスになるという声も聞きますが、見つからないことは恥ずかしいことではないと思います。では、どうやって探したらいいかと考えたとき、1つのコツは「パッション(情熱)」を探すこと。それでも何が好きかわからない、燃えるものがないという人もいますが、「これは楽しかったと思うことはない?」と聞くと、何かしらあるんです。初めてジョギングをしたらすごく楽しかったという人には、それをパッションにしてみてはと勧める。「そんなことでいいの?」と驚かれるけれど、何でもいいのです。

――松岡さんのパッションは、何だったのでしょう?

 最初はテニスです。16歳で渡米してプロ選手を目指しましたが、ケガに悩まされてその夢を断念。次に何をしようと思った時に選んだのが、一緒にテニスができるロボットを作ることでした。それは自分のためでしかなかったけれど、突き詰めていくうちに気づいたのは、今まで学んできたテクノロジーを使うことで、人を助けられるロボットを作れるということ。そして、それこそが私のミッションだと思ったのです。好きなものにのめりこんでいれば、いずれミッションが見つかるかもしれない。たとえ見つからなくても、パッションを持って楽しく生きていくことが大事なのではと考えています。
 人生には、本であればチャプター(章)が変わるように、転機が何度か訪れます。チャプターが変わる度に学ぶことがあり、新しいことを選択できる未来が拓けていく。パッションを見つけるのに、何歳からでも遅いことはないと思います。

「Me List」で生き方が変わった

――女性はとくに自分を後回しにしがちです。「なりたい自分」に近づくためにはどうすれば良いのでしょう。

 日本の女性は自分を犠牲にしてがんばってしまう人がとても多いですね。けれど、周りの人に優しい心で接するためには、自分のこともちゃんとケアしていないとできないと思っています。私自身も忙しくてバランスが取れなくなると、子どもたちにイライラしてしまうこともたくさんありました。
 私はライフコーチに付いて、人生の困難をどうやって乗り越えていくかというセッションを重ねてきました。そのコーチの方か言われたのは、「自分を後回しにするのは間違いよ。まずは『Me List』をつくりなさい」ということ。Me Listとは、「自分が自分のためにやってあげることリスト」とでもいえばいいでしょうか。そんな時間はないと数か月は反抗していたものの、仕方がないので渋々やってみたのです。

――実際にやってみていかがでしたか。日々の生活や生き方も変わっていくのでしょうか。

 最初は睡眠をとるなどごく日常的なことで、「週5日は7時間以上寝ます」と具体的に書くよう言われました。「そんなの無理!」と思っていたけれど、何とかがんばって7時間寝る日をつくったら、そういう日は周りの人に親切にできるんです(笑)。運動もおろそかにしていたけれど、「週5回、30分はランニング」とリストに入れ、朝からジョギングをした日は仕事も不思議と上手くいく。その変化が目に見えるようになったときに「これだ!」と思って、Me Listを大切にするようになりました。
 自分のことをちゃんとケアしてあげると、家族に優しくなれるし、仕事もはかどる。子どもと過ごす時間をつくることもリストに入れたことで、気持ちは変わっていきました。それは子どもが喜ぶからではなく、私が子育てを楽しみたいからやっていること。自分のウェルビーイングを維持できるようになると、「今」というものを大切にできる生き方になっていく。それが人生の新しいチャプターへ進む選択肢につながると信じています。
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『選択できる未来をつくる』(東洋経済新報社)

■松岡陽子さんプロフィール
まつおか・ようこ/パナソニック ホールディングス執行役員、Yohana CEO
1971年東京都生まれ。93年カリフォルニア大学バークレー校卒業後、マサチューセッツ工科大学に進み、98年博士号取得(電気工学、コンピューター科学)。ハーバード大学博士研究員、カーネギーメロン大学助教授、ワシントン大学准教授を歴任。2007年、「天才賞」と呼ばれるマッカーサー・フェローを受賞。賞金を元手に、身体面および学習面の課題を抱える子どもたちのためのYokyWorks財団設立。09年共同創業者としてGoogle X立ち上げ。10年Nest社CTO(技術担当副社長)。その後Appleヘルスケア部門を経て、17年Google副社長。19年パナソニックに入社し、20年Yohanaをファウンダー兼CEOとして設立。


※画像提供:Yohana株式会社


  • 書名 選択できる未来をつくる
  • 監修・編集・著者名松岡陽子 著
  • 出版社名東洋経済新報社
  • 出版年月日2023年3月17日
  • 定価1,980円(税込)
  • 判型・ページ数四六判・216ページ
  • ISBN9784492503393

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