東京都駒込にある、世界最大級の東洋学研究図書館「東洋文庫」。本シリーズ「マンガでひらく歴史の扉」では、マンガが大好きな東洋文庫の学芸員・篠木由喜さんが、イチオシ作品の学芸員的読み方を紹介してくれる。
篠木さんは最近、ミニマリストに興味があるそう。そこで今回は、現代のミニマリストが奈良時代にタイムスリップするという、石川ローズさんのマンガ『あをによし、それもよし』(集英社)を教えてもらった。
『あをによし、それもよし』の主人公は、とことん物を持たない暮らしに無上の喜びを感じるミニマリスト・山上(やまがみ)。ある朝出勤しようとエレベーターに乗っていると、急に真っ暗になり、気がついたら奈良時代に降り立っていた。
偶然出会った平城京の下級役人・小野老(おののおゆ)の家に居候することに。物がなく、食べ物や服も天然のもの、都まで2時間歩いて出勤するという奈良時代のミニマルライフに、山上は感激。このままシンプルな暮らしを続けていきたいと思っていたが、ひょんなことから『万葉集』で有名な山上憶良に成り代わり、位を授けられることになってしまう。
篠木さん:学芸員をしていると、和書のちぎれた紙片や革の本から欠けた破片なども捨ててはいけないんですが、家ではミニマリストでありたいんです!先日はゴミ袋8袋分くらい服を捨てました。でも、まだクローゼットが空かなくて。いったいどれだけ服がぎゅうぎゅうに詰まっていたのか......。それでも、捨てたぶん気持ちがすっきりしました。
山上はミニマリストを突き詰めたキャラクターで、空気清浄機以外何もない、引っ越ししたてのような部屋に住んでいた。「山上さんのようにはなれないです......」と篠木さんは苦笑する。
篠木さん:コロナ禍になってから、ミニマリストを目指す人が増えたように感じますね。コロナ禍といえば、1巻の第3話に奈良時代の食品「蘇(そ)」が登場します。牛乳を煮詰めて作るチーズのようなもので、学校が休校になり給食で消費されなくなって供給過多状態にあった牛乳の大量消費レシピとして、2020年3月頃にSNSで話題になりました。でも、『あをによし、それもよし』の第3話が「グランドジャンプPREMIUM」に掲載されたのは2017年。先見の明がありますね。
蘇は高級品だが「味がしなくて美味しくない」と気が進まない老と、「無添加で美味しい」と喜ぶ山上。何もない時代の人は贅沢をしたがり、物に溢れた現代の人はミニマルな暮らしに憧れるという、2人の価値観のすれ違いが面白い。
小野老は実在の人物で、「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」という歌が万葉集に残っている。他にも藤原不比等、大伴旅人、長屋王など歴史上の人物が登場し、山上はだんだんと、平城宮内のごたごたに巻き込まれていく。
篠木さん:作者の石川さんは、「『貧窮問答歌』をテーマに描いてください」と頼まれてこの話を考えたことを明かしています。だからいずれ『貧窮問答歌』を詠む場面が出てくると思うのですが、このまま物語が進むと、私たちが思っているような「暮らしが貧しくて苦しい」という歌にはならなさそうですよね。物のない暮らしに大満足している山上さんが、どういう心境で『貧窮問答歌』を詠むのか、今から楽しみです。
篠木さんいわく、日本史上にはまさに「ミニマリスト」な人物が。『方丈記』を書いた、平安時代末期~鎌倉時代前期の歌人・鴨長明だ。「方丈」は、四畳半よりも一回り広いくらいのスペース。長明が狭い「方丈の庵」でシンプルな暮らしをするようになったのは、度重なる火事や地震で財を失う人々、遷都で引っ越していく人々を見て、こんなふうに思ったからだった。
人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。
(人のすることはみな愚かだが、その中でも、こんなに危ない都の中に家を作ると言って財を費やし、心を悩ませることは、特に無意味ですね。)
青空文庫「方丈記」より引用、記者訳
『方丈記』によると、長明がこのようなミニマリスト思考に至ったのは30代のとき。はじめはそれまで住んでいた家の1/10のサイズの庵を建てて住み、50歳をこえてから町を出て、山に移り住んだそうだ。
篠木さん:優れた随筆として有名な『方丈記』は、災害文学としても高く評価されており、前半は度重なる災害、人災を取材し、教科書で説明されるような「無常観」を記しています。しかし後半は、移り住んだ大原山の方丈の庵で、日々割と満足して過ごしていることが書かれているんですね。自分で工夫して建てた、暮らしやすい庵の内外を詳しく説明して、春夏秋冬を楽しみ、思う存分趣味の楽器を弾き歌い、わずらわしい人間関係から離れて快適な暮らしを送っているけど、時に感傷的になることもあるよ、というような内容です。
私も30歳をこえてミニマルな暮らしをしたくなったので、長明の心境には共感するところがあります。しかも現代は情勢が不安定で、長明の頃に似ているのかもな......なんて思います。2022年に『超約版 方丈記』(城島明彦 訳、ウェッジブックス)が発売されるなど、注目を集めているようです。
篠木さん:長明は、わずらわしい人間関係は手放していますが、人との関係を完全に断っているわけではありません。ふもとに住む10歳の子がたまに長明のところに来て、年齢の差も気にせず2人で山の中をぶらぶら、コケモモを採ったりセリを摘んだりするのが楽しいんだと書いていますが、この境地になるのも、ちょっとわかるなぁと。私はそんなに人間関係に疲れているわけではないんですが、気心の知れた友達と山の中をぶらぶらするのは最高のストレス発散なので(笑)。
狭い庵に住む長明だが、楽器を弾くのが好きで、琵琶や琴は部屋に置いていた。でもその琵琶がなんと組み立て式で、スペースを取らないようになっているそう。
篠木さん:けっこう気合いの入ったミニマリストですよね(笑)。ミニマリストの本を読んでいると、物を手放すこと自体が目的なのではなく、手放した結果思考がシンプルになって、仕事がはかどったり、本当に好きなことがわかったりするというマインドを大事にしている人が多くいます。まさに長明ですね。物は減らしても、好きなことは減らしていないんです。
私もミニマリスト本はKindleで読みますが、マンガは紙で買います。何度でも読み返したい、大好きなものなので!
東洋文庫には「光悦本」という見事な木版刷りの『方丈記』が所蔵されている。5月31日から東洋文庫ミュージアムで始まる「東洋の医・健・美」展の際、名品展示のスペースで展示する予定だそうだ。
篠木さん:作家が集中して作業できるように、出版社が旅館やホテルの部屋を用意する「カンヅメ」というシステムがあるとマンガで読みましたが、ノイズの少ない環境が集中できるというのは、ミニマリストという言葉が出てくる前からみんな知っていることだったんですよね。私もお寺とかにノートパソコンと座り心地のいい座椅子だけ持ち込んで展示解説の執筆をしたら、もっと捗るんじゃないかな~! なんて......。
そんな篠木さんがおすすめするミニマリスト本が、ミニマリストしぶさんの『手放す練習 ムダに消耗しない取捨選択』(KADOKAWA)だ。表紙には、まさに『あをによし、それもよし』の山上のような、何もない部屋に座っているしぶさんの写真が。
篠木さん:この本では、ミニマリストという言葉が芸術家から生まれたと解説されています。装飾的な要素を削り、必要最低限の要素だけを残す「ミニマルアート」の専門家を、かつてはミニマリストと呼んでいたそうです。
しぶさんは「ミニマリズムの本質は、ある一点を目立たせるために、他を削ぎ落とす『強調』だ」と分析しているんですが、これは刺さりますね。暮らしだけでなく、仕事でもあらゆる面で使える考え方だなと感じます。「持たない暮らし」系の本を読みまくっていると、あれ、なんだか労働意欲が右肩下がりに......と思うこともあるんですが(笑)、この考え方は、いい展示作りにも活かせそうな気がします。
加えて、"こんまり"こと近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法 改訂版』(河出書房新社)、ジェニファー・スコットさんの『フランス人は10着しか服を持たない』(神崎朗子 訳、大和書房)の3冊が、篠木さんの「捨て活」がはかどるミニマリストバイブルだそう。篠木さんのミニマルライフがどうなっていくのか、いずれ続報を聞かせてもらおう。
〈東洋文庫〉
1924年に三菱第3代当主岩崎久彌氏が設立した、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館。国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊を収蔵している。専任研究員は約120名(職員含む)で、歴史・文化研究および資料研究をおこなっている。 東洋文庫ミュージアムでは、2023年 5月14日(日)まで企画展「フローラとファウナ 動植物誌の東西交流」を開催中!
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