「人間ってなんだ?」
そんな大きくて、難しく、でも誰もが知りたい問いを、演出家の鴻上尚史さんはずっと考えているのだという。
演劇の演出家は、人間とつきあうのが仕事です。つまりはずっと「人間ってなんだ」と考え続けているのです。
まったく理解できない行動を取る俳優やスタッフに対して、「どうしてあんなことをするんだろう」「何を考えているんだろう」と相手の立場に立って考える訓練をずっとしてきました。
あの人はどうしてあんなことをするんだろう? そう考えるのは、決して優しさや思いやりではない。「相手の事情を理解する」ということだ。
鴻上さんの著書『人間ってなんだ』(講談社)は、「週刊SPA!」(扶桑社)で1994年10月~2021年5月に連載されたエッセイ「ドン・キホーテのピアス」から、「人間」というテーマに関する選りすぐりの回をまとめたものだ。あらゆる角度から「人間」を語った本書の中に、生前鴻上さんがお世話になったという大演出家、故・蜷川幸雄さんの印象的なエピソードがある。鴻上さんが見た、蜷川幸雄という「人間」とは?
鴻上さんは、2005年4月に上演された蜷川さん演出の舞台『キッチン』に、俳優として出演した。なんと、33人もの俳優が出る舞台だ。33人もいると、1週間以上一度も喋っていない相手がいる、なんてことも普通にある。学校のクラスを考えるとわかりやすいだろう。クラスメイトの中にはよく話す相手もいれば、ほとんど話したことがない相手もいたはずだ。
しかしなんと、蜷川さんはこの33人全員と、2日間で必ず一度は話していたというのだ。しかも、俳優から蜷川さんに話しかけに行っていたということでもない。あの"巨匠"自ら広い稽古場を自分で歩いて、あちこちにいる俳優に自分から声をかけていたのだ。話す内容も、「どうだ、調子は?」というあいまいな声かけではなかった。「顔色、悪くないか?」「疲れない? 俺はすっごく昨日、疲れたんだよね」など、具体的な言葉をかけてコミュニケーションをとっていたそうだ。
鴻上さんが見るに、俳優は、結果が数字で出ないぶん、演出家に評価してもらわないとずっと不安を抱えることになる。俳優が演出家に不満をもつときは、多くの場合「私をもっと見て、私の演技があっているのか間違っているのか判断してください」と思っているのだ。だから、演出家に「見てもらえている」とわかると不安が解消される。『キッチン』の稽古で不満を漏らしていた俳優も、蜷川さんに話しかけられるうち、不満や不安がなくなっていったという。
英語では、蜷川さんのこのような行動をボンディング(bonding)といい、ビジネスシーンではマニュアル化もされている。しかし、頭では重要性をわかっていても、それをさらりとできる人はなかなか少ないだろう。ましてや蜷川さんは当時70歳だ。
僕が70歳になった時に、そんなことができるかと、思わず、僕は唸ってしまうのです。
本書では、蜷川さんの逸話がもう一つ紹介されている。『キッチン』の稽古で、ある若い俳優がどうしてもうまくセリフを言えない箇所があった。その俳優は映像の演技しかしたことがなく、舞台の演技自体に戸惑っていたそうだ。稽古はそのシーンで膠着した。見かねた蜷川さんは、稽古を見学していた「ニナガワ・スタジオ」という若者を集めたグループの中から、一人の俳優を呼んで、「ちょっとやってみろ」と促した。するとなんとその俳優は、そのシーンのセリフを完璧に話し始めたのだ。
それから2日間、2人の俳優が同じ役を演じる稽古が続き、3日目に役が「ニナガワ・スタジオ」の俳優に交代となった。そしてもともと演じるはずだった俳優は、セリフのない役を演じることになった。
僕は、蜷川さんはこういう現実に生きているんだと震えました。
もちろん鴻上さんも演出家として役を変えたり下ろしたりしたことはあるけれど、2日間というスピードでしたことはなかったという。優しさと厳しさ、2つのエピソードから、蜷川さんが"巨匠"であった理由が見えてくる。
本書には、蜷川さんをはじめとする演劇の話のほか、イギリス留学やアウシュビッツ訪問で考えたこと、カルトやコロナ禍、「君は美人のお姉さんのウンチを見たか?」なんていう話題まで、ありとあらゆる角度から「人間」を切り取った30のエピソードが収録されている。いずれも、くだけた口調の中に鴻上さんならではの視点が光る。
「人間ってなんだ?」本書を通して、その答えが見えるのか、はたまた謎は深まるのか。
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