「なんだ経済学の本か」と読むのをやめないでいただきたい。著者の長沼伸一郎さんは、理系世界では有名な人だ。早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業、大学院を中退したばかりの頃自費出版した『物理数学の直観的方法』はベストセラーになり、その後講談社ブルーバックスに収められ、版を重ねている。学生時代、お世話になった人も多いはずだ。
ベクトル解析やフーリエ変換といった大学で学ぶ数学の肝となる概念を大胆に図解し、イメージ化することによって直観的に理解させる手法が、実にわかりやすいと評判になったのだ。文系人間の評者も遅ればせながら読み、理解するまでは至らなかったが、そうした概念が物理という枠組みによって、社会にさまざま実装されていることを知った。
その長沼さんが経済学に「直観的方法」を応用したというのだから、経済学部の落ちこぼれだった評者としては、見過ごすわけにはいかない。本書『現代経済学の直観的方法』(講談社)の「はじめに」に、こうある。
「経済というものが全くわからず予備知識もほとんどない(ただし読書レベルは高い)読者が、それ1冊を持っていれば、通勤通学などの間に1日あたり数十ページ分の読書をしていくだけで、1週間から10日程度で経済学の大筋をマスターできる」
入門書と専門書をつなぐ、ちょうどいい中間レベルを目指したという著者の目論見は、見事に成功しているように思う。
本書の構成は以下の通り。
第1章 資本主義はなぜ止まれないのか 第2章 農業経済はなぜ敗退するのか 第3章 インフレとデフレのメカニズム 第4章 貿易はなぜ拡大するのか 第5章 ケインズ経済学とは何だったのか 第6章 貨幣はなぜ増殖するのか 第7章 ドルはなぜ国際経済に君臨したのか 第8章 仮想通貨とブロックチェーン 第9章 資本主義の将来はどこへ向かうのか
「経済を理解したいがどこから手をつければよいかわからない」という読者は、第1章だけに目を通すとよい、と著者は勧めている。
金融というものを徹底して鉄道のイメージで把握するという独自の手法を取っている。これが実にわかりやすい。「経済社会の鉄道網」の図を使った説明を読むうちに、マクロ経済学の最重要ポイント、「投資と貯蓄は一致する」、さらにY(国民所得)=C(消費)+I(投資)という式も自然と理解できる。
さらに「金利」というものが公認されるようになった歴史的背景を説明し、連続的に設備投資を行っていかねばならない資本主義経済の超高血圧体質にふれる。
第6章以降、貨幣を説明するのに「磁化」という概念を使っているのがユニークだ。イングランドの紙幣が誕生した過程は、金の地金という天然の永久磁石によって紙切れがゆっくり磁化されたようなものと説明。一方、モンゴルの紙幣はフビライの軍隊という電磁石によって急速に磁化された紙幣だとする。
このアナロジーは、第7章でアメリカが金との交換を保証していた固定相場制から保証しない変動相場制へと移行した際の説明に生きてくる。
「現代のドルは『核兵器』という電磁石によって磁化された特権的な世界通貨なのであり、第二次世界大戦後の国際経済の中で、最初はイングランド型の国際通貨として出発したドルは、いつの間にやらこの種のモンゴル型の国際通貨に変貌を遂げてしまっていたのである」
第8章のビットコインとブロックチェーンの説明も秀逸でわかりやすい。電卓を片手に読んでいけば「ハッシュ関数」などの概念も理解できる。なぜマイナー(採掘者)たちが報酬を目当てに膨大な計算をしているかも腑に落ちた。
さらに仮想通貨が過去の金本位制と似ているという指摘も重要だ。それがビットコインの限界になると著者は考えている。
「第9章 資本主義の将来はどこへ向かうのか」では、「縮退」という概念を提示している。全体としては拡大しているのだが、末端は壊死しているような状態だ。大企業ばかりが生き残り、地方はシャッター商店街となっている様を例に挙げている。生態系や囲碁、天体力学などの考え方を借りて、抜け出す手がかりを模索する様は知的なダイナミズムに満ちている。
ところでなぜ、経済の専門家ではない著者が本書を書いたのか。「おわりに」に壮大な意図を記している。
「日本の歴史を振り返って眺めると、そこでは国の針路が行き詰まった大きな転換の時に、一種『理数系武士団』というべき一群の人々がまとまって現れ、それが歴史を動かすという光景がしばしば見られていた」
幕末期の洋学者、蘭学者がその典型だという。その思いで20年がかりで執筆された。
理系の人こそ、経済を語れというのが著者の願いだ。コロナ禍のいま、データに基づいた、科学的な分析と経済政策の立案が求められている。理系的センスによるコロナ問題の解決は、国民全体の願いでもある。
より経済数学を学びたい人には、長沼さんの著書『経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』、『経済数学の直観的方法 確率・統計編』(いずれも講談社ブルーバックス)が参考になる。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?