新型コロナウイルスによる感染症が広がり、ウイルスに対する警戒感が一段と高まっている。本書『ウイルスは悪者か』(亜紀書房)は、ウイルスについて一般向けに分かりやすく解説した本だ。人類とはどういう関係にあるのか。有害なだけの存在なのか。
著者の高田礼人さんは1968年生まれ。北海道大学獣医学部卒業。東京大学医科学研究所助手を経て、現在は北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター教授。専門は獣医学、ウイルス学。
高田さんは学者としてなかなかユニークな人だ。小学校の時から剣道を続けており、副題にも「お侍先生のウイルス学講義」とある。一方でピアノをこよなく愛し、本書にはひげ面の高田さんが、鉢巻き姿で外国人にピアノの腕を披露している写真も掲載されている。酒もガンガン飲めば、タバコも止めない。
本書には、アフリカまで出かけて採集活動をしている話も登場する。何を採集しようとしたかというと、「エボラウイルス」だ。エボラ出血熱の原因になっているウイルスはアフリカのコウモリが運んでいるらしい、ということで、アフリカ中南部にあるザンビアの森にいく。2、3年前、『バッタを倒しにアフリカへ』という昆虫学者の新書がベストセラーになったが、高田さんの場合は、「エボラ探しにアフリカヘ」というところか。
もちろん遊びではなく、北大獣医学部とザンビア大獣医学部の共同研究。エボラウイルスの「自然宿主」探しと生態解明に挑む壮大なプロジェクトだ。空を黒く覆う1000万羽を超えるコウモリの大群に銃を撃ち、網を使い、数人がかりで100羽以上を捕獲した。まさに「お侍先生」とコウモリとの真剣勝負だ。
捕まえたコウモリは現場で麻酔し採血する。エボラ出血熱のウイルスを保有しているかもしれないから二重のゴム手袋が必須だ。そして8時間がかりでザンビア大学の獣医学部に持ち帰り、解剖して臓器を取り分ける。エボラウイルスに感染していないか調べるのだ。野生のコウモリと格闘して捕獲するというフィールドワークと、研究室での作業がセットになっている。これが人類を悩ませる感染症研究の最前線の姿というわけだ。
高田さんは子どもの時からの山を駆け巡るのが大好きで、生物学を志した。しかしウイルスの知識はほとんど持ち合わせていなかった。というのも、高校の教科書ではウイルスのことは、あまり教えられないからだ。高田さんが記憶しているのは、タバコモザイク病を発生させるタバコモザイクウイルスの話と、細菌に感染して死滅させる「バクテリオファージ」ぐらい。念のため最近の教科書も調べてみたが、「ウイルスとは何か」を詳細に説明する記述は見つからなかったという。そういうこともあって本書では、ウイルスについて、念入りに説明されている。
ウイルスの存在は19世紀の末に察知されたのだという。上記のタバコモザイク病の究明がきっかけだった。病気にかかったタバコの葉を絞り、濾過して細菌を取り除いたあとでも、その濾過液がタバコの葉に病気を起こすことが分かった。液を希釈してもなお病気が発生する。細菌以外の何かが存在するのではないかというわけだ。様々な論争があったそうだが、決着をつけたのは1932年に登場した電子顕微鏡だ。その力を借りて39年、ついに天然痘を引き起こすウイルスの存在がとらえられたのだ。
高田さんは学生時代、目には見えないウイルスを初めて電子顕微鏡で見つけた瞬間、素朴に感動したという。当時はフィルムで写真を撮っていたのでピント合わせが大変な苦労だった。その後に登場したデジタル技術で、写真撮影は格段に容易になり、ウイルス学も急速に発展することになる。
本書は「プロローグ エボラウイルスを探す旅」と「エピローグ ウイルスに馳せる思い――ウイルスはなぜ存在するのか」の間に、以下の12章が並んでいる。実際の執筆は理系ライター集団「チーム・パスカル」に所属する萱原正嗣さんが担当しているようだ。添えられている岡村優太さんの概念図イラストが、複雑なウイルスの世界の理解を助ける。
第1部 ウイルスとは何者なのか 1章 ウイルスという「曖昧な存在」 2章 進化する無生物 3章 ウイルスは生物の敵か味方か
第2部 人類はいかにしてエボラウイルスの脅威と向き合うか 4章 史上最悪のアウトブレイクのさなかに 5章 研究の突破口 6章 最強ウイルスと向き合うために 7章 長く険しい創薬への道程 8章 エボラウイルスの生態に迫る
第3部 厄介なる流行りもの、インフルエンザウイルス 9章 1997年、香港での衝撃 10章 インフルエンザウイルスの正体に迫る 11章 インフルエンザウイルスは、なぜなくならないのか 12章 パンデミックだけではない、インフルエンザの脅威
コウモリ捕獲のように、アドベンチャーじみた話もあれば、国際会議に出かけて発表したり、世界の研究者と最新事情を交換したりする話もある。全体として、読者を飽きさせない構成。未知なことだらけのウイルスの森を道案内するノンフィクションの体裁だ。
本書を読みながら痛感したのは、ウイルス研究の日が浅いこと、しかし大いに進展していること。「感染=病気」ではない、ということも出てくる。最近しばしば聞く「不顕性感染」だ。
人類が根絶した天然痘は、罹ったらすぐに発症する「顕性感染症」だったので、見つけやすく、対処の方法があった。今回の新型肺炎の場合は、潜伏期間が長く、「不顕性感染者」がたくさんいて、彼等からさらに感染しているようなので厄介だ。「陽性」「陰性」の線引きがはっきりしない。ヘルペスのウイルスなどは、いったん感染部位から他所に移動し、そこで潜伏、宿主の体力が弱った時にまた動き出すことが分かっている。一口にウイルスと言っても千差万別だ。油断ならない。
一方でヒトにとって「有益」なウイルスも存在するという見方も研究者の間では広がっているそうだ。ウイルスと宿主の双方に利益をもたらす「共生ウイルス」も見つかっている。哺乳類の胎盤形成に極めて重要な役割を果たすたんぱく質は、内在性レトロウイルスというものの遺伝子から発現しているという。
本書を読みながら、ウイルス研究は日進月歩、理系のホットゾーンだな、と思った。ノーベル賞受賞者も多いのではないか、調べてみようと思ったら、ちゃんと54ページに一覧になっていた。「ウイルス学とノーベル生理学・医学賞」。1951年から2008年までに11件、共同研究が多いので多数の研究者の名前が並んでいる。将来、ノーベル賞を取りたいと思っているような優秀な中学生や高校生には興味深いリストだ。学校当局には本書を図書館に置いて、刺激を与えるようにお願いしたい。母校からノーベル賞が生まれるかもしれない。
ちなみにインフルエンザウイルス研究の世界的権威で、コッホ賞を受賞している東京大学医科学研究所感染・免疫部門ウイルス感染分野教授の河岡義裕さんも、高田さんと同じく北大獣医学部出身。感染症は「人獣共通感染症」が多いので、獣医学部出身者が活躍している。
BOOKウォッチでは河岡さん監修の『猛威をふるう「ウイルス・感染症」にどう立ち向かうのか』(ミネルヴァ書房)、『インフルエンザ・ハンター』(岩波書店)も紹介済みだ。
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