世の中にはこんな本が必要ではないかと思っていた。それがようやく出版されたという感じだ。『学生生活の法学入門』(弘文堂)。大学生が遭遇しうる様々なトラブルを、民法・刑法・行政法の視点から解説している。法学というと、難しそうなイメージがあるが、本書は学生生活に即しているので、きわめて実践的。文章もこなれていてわかりやすい。しかも理屈はきちんと押さえられている。すべての大学生に一読を進めたい良書だ。
大学生と法律の関係は、以前よりもかなり密接・身近になっている。一つには、2015年の公職選挙法改正で、選挙権年齢が20歳から18歳に引き下げられたことがある。大学一年生でも、有権者の一人として、一票を投じる立場になった。18年の民法改正も大きい。成人年齢が、こちらも20歳から18歳になった(施行は22年4月)。このために現役で大学に入ったときは、もう「大人」の扱いを受けることになる。格好よく言えば「社会の一員」になるということだが、それに伴い諸々の法的責任が問われるようになる。
加えて、少年法についても改革の足音が迫ってきている。そのあたりは、BOOKウォッチで紹介した『少年犯罪はどのように裁かれるのか。――成人犯罪への道をたどらせないために』(合同出版)が詳しい。
「少年法の適用年齢を18歳未満に引き下げる」動きが進んでいるのだ。周知のように、少年法では未成年者には成人同様の刑事処分を下すのではなく、原則として保護更生の道を探ることになっている。この場合の「未成年」は、現在は20歳未満だが、それを18歳未満にすべきかどうか。国の法制審議会の諮問を受けて2年越しで議論されているのだ。法改正されると、単純に言えば18-19歳の少年も刑務所行きになる。
政府は、少年法の改正案について、法制審議会(法相の諮問機関)の意見が割れたままなので今国会への提出は見送る方針とも報じられているが、10年前とは、大学一年生を取り囲む法的な環境は激変しつつあると言えるだろう。
そうした世の中の大きな変化を、受験勉強が終わったばかりの新入生は必ずしも理解できていないに違いない。というわけで、本書の出番となる。著者の山下純司氏ら3人はいずれも1970年代生まれ。大学で法学を教えている。
本書の大きな特徴は、大学生が遭遇するかもしれないトラブルを、民法・刑法・行政法という三つの角度から分析・説明していることだ。民法は被害者救済、刑法は加害者処罰、行政法はトラブル予防。身近なトラブルは、常にこの三つが役割分担しながら解決にあたっているということを、本書ではくどいほど強調する。「行政法」とは行政に関する法律をまとめた呼び名で、「行政法」という名前の法律が存在するわけではない。
本書は二部に分かれている。「第Ⅰ部 基礎編」では、「1章 消費者被害にあう」「2章 お金を借りる」「3章 交通事故にあう」「4章 路上喫煙」「5章 アルバイトをする」「6章 生活保護」「7章 不法投棄」についてのケーススタディが登場する。「第Ⅱ部 発展編」では「格差社会と法」「家族と法」という二つのテーマを扱っている。
例えば「1章 消費者被害にあう」では、訪問販売のケースが取り上げられている。訪問販売の男から、英会話教材を買わされた。3か月10万円。断りたかったが、相手が威圧的なので怖くなり、契約書にハンコを押してしまった。ほどなく教材が届いたが、お粗末なものだった。業者からは「早く10万円振り込め」という督促の電話がかかってきた・・・。
誰にでも起きうる話だ。契約をしたから、10万円を払わないといけないのか。警察に相談すると、警察は味方になってくれるだろうか。こうした商法を防ぐために、どんな仕組みが存在するのか。金を払わずにいると、訴えられてしまうのか。
一般論として、契約は守らねばならない。しかし民法では「詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる」とある。果たしてこの売込みは「強迫」と言えるほどだったのか。そのあたりの判断は難しい。
そこで消費者を保護する特別の法律が登場する。一つは「消費者契約法」。勧誘が「強迫」には至らないものの強引だった場合、消費者を保護する。さらに「特定商取引法」もある。「訪問販売」については、いわゆるクーリングオフが認められている。同法ではさらに、訪問販売や通信販売の事業者には特別の義務を課している。民法でいう「強迫」や、刑法の「脅迫」にあたるほど悪質でなくとも、脅したり怒鳴ったりする勧誘は禁止されている。悪質な業者には「業務停止処分」を課することもできる。二つの法律はともに「行政法」の範疇だ。
実は、本件と類似のことは評者も体験して処理したことがある。認知症が始まっていた義母が、一人で留守番をしていた時に、見知らぬ業者の訪問を受け、高額の着物を購入していた。義母は足が不自由なので着物を着ること自体が難しい。そんなこともあり、評者が消費者契約法をたてに業者と交渉し、契約解消に成功した。
もう一つ、郷里に暮らしていた父のケースもある。やはり認知症が始まっており、突然訪ねてきた業者に金の先物取引を契約させられていた。こちらは人づてにこの方面の被害に強い弁護士を紹介してもらい、弁護士から業者にFAXを一枚送っただけで、契約解消ができた。弁護士費用は10万円だった。この弁護士と争うことを、業者が忌避したのだろう。
本書と同じように、身近な生活にまつわるトラブル対策を書いた本は多々あるが、本書の特徴は大学の新入生向けに特化していることだ。
まず、事例がキャンパスで起きうる話になっている。友人から中古のパソコンを格安で譲り受けたが、すぐに壊れた、金を支払うべきか。先輩から金を借りたら、結構高い利子だった、気がついたら相当の額になっていた、払うべきか。自転車を無灯火で運転中に、通行人をはねてけがをさせてしまった、どうすればいいのか。アルバイトや奨学金なども登場する。
加えてもう一つは、これらについての説明が、きちんとした法理論に基づいていることだ。民法・刑法・行政法という3区分による解説が一貫しており、「法」の仕組みが、ケーススタディを通してすんなり頭に入ってくる。
法律はちょっと数学と似ているところがある。数学は問題を解くにあたって公式を使うが、社会のトラブルを解決するのに使われる公式が法律だ。そう考えると、受験勉強を終えたばかりの新入生には、親近感がわくかもしれない。
先の「訪問販売」のケースに戻ると、民法や刑法では解けなかった問題が、行政法で解けるかもしれない。あるいは、ぼやぼやしていると、業者の方から、民法の契約不履行ということで、先に訴えられるかもしれない。その時はどのような法律で対抗すべきか。数学と違って、当事者の双方が「正解」を主張する場合は裁判になり、裁判官が真の「正解」を下す。時には「情状」や「過失相殺」も考慮される。数学よりは「正解」に裁量の幅があり、ヒューマンだ。法学部の新入生なら、本書を入り口に、さらに広い法律の世界に足を踏み入れたくなることだろう。
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