フジサンケイグループを支配した鹿内家の盛衰を描いた『メディアの支配者』(2005年、講談社)は、講談社ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞した。その続編にあたるのが、本書『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』(講談社)である。前作で扱ったフジテレビに加えてテレビ朝日を対象に両局の設立の経緯から今日まで、二つのテレビ局が生み出す「カネ」と「利権」に群がった面々を鋭く描き出している。
著者の中川一徳さんは1960年生まれ。月刊「文藝春秋」記者を経て2000年に独立したフリーランスジャーナリスト。『メディアの支配者』の刊行から十数年経過した。この間、フジテレビは視聴率三冠王の座から転落、テレビ朝日は王者、日本テレビの背中まで迫る勢いだ。
1957年、「富士テレビジョン」、「日本教育テレビ」として設立され、2年後に開局した両者が兄弟局として経営する手はずで準備されたことは、あまり知られていない。東京にテレビ第3局、第4局の免許が下りることになり、財界を中心に調整が行われた。一つを一般局、もう一つを教育局として棲み分け、競合を和らげた。前者が「フジ」、後者が「日本教育テレビ(その後テレビ朝日)」であることは言うまでもない。
この両局にまたがる形で君臨したのが旺文社の赤尾家である。ラジオ中波の文化放送を資本、経営で支配する旺文社の赤尾好夫は「テレビ朝日では二割の株と会長職、フジテレビでは四割弱の株を事実上、手中にした」。鍵は文化放送にあった。なぜ、赤尾が文化放送を手中に収めたのか、戦前、戦中、戦後の赤尾の行動から解きほぐしている。
旺文社について、「赤尾の豆単」で知る人は多いだろうが、赤尾家はキャスティングボードを握る形で両局を翻弄し、後の株式争奪戦を用意することになる。
タイトルの「二重らせん」とは、赤尾家の株を軸に絡み合う二つのテレビ局の姿を比喩したものだろう。
日本テレビやフジテレビについて公刊された本は多いが、テレビ朝日についてこれほど詳しくその歴史にふれた本は初めてではないだろうか。多くの朝日新聞関係者の名前も登場する。だがいまでこそ、「朝日」の名を冠しているが、同社における朝日新聞の比重はそれほど高かった訳ではない。
「日本教育テレビ」ではスポンサーも付きにくいので、同社は長く「NET」の略称を使った。「テレビ朝日」を名乗るようになったのはかなり後年(1977年)のことである。
本書によると、1964年当時の持株比率は、旺文社系27.2%、日本経済新聞23%、朝日新聞22.5%、東映20.2%と4社が拮抗していた。「教育」の名にふさわしく、旺文社が筆頭株主だった。その後、朝日と東映(かつては筆頭株主、現在は朝日新聞に次ぐ第二位の株主)が手を組み、旺文社の影響力を殺いでいく。そこには元郵政大臣でその後首相になった田中角栄の政治力も関与した。朝日新聞社長だった広岡知男は「角栄の好意がなかったら今日のテレビ朝日はできていない。にもかかわらず朝日は角栄に対しビタ一文出していないし、記事に手心だって加えていない」と回顧している、と書いている。
田中内閣当時、5つの東京キー局と朝日、読売、毎日、日経、産経の新聞各社との資本関係が完全に系列化した。そして、地方局へ大量に免許が交付され、ネットワークの拡大競争が始まった。
本書では、静岡や新潟、福島、山口など地元で起きた悲喜劇を存分に描いている。すでに田中はロッキード事件の被告となり首相を退いていたが、隠然と影響力を行使した。新潟では田中の取り違えで、朝日系と読売系の地元経済人が相反するテレビ局の社長にそれぞれ就任する笑い話のような事態もあったという。
後半は、赤尾好夫の死によって息子の一夫がマネーゲームにのめりこみ、二つのテレビ局が翻弄されていく様子を活写している。90年代半ばには、オーストラリア出身の「世界のメディア王」ルパート・マードックとソフトバンクの孫正義がこれに絡み、テレビ朝日の「乗っ取り騒動」が起きる。朝日新聞は彼らの言い値でテレビ朝日株を買い取った。
また、フジテレビでは鹿内家を追放するクーデターが起き、フジテレビと親会社のニッポン放送が上場することになる。そこに元通産官僚の村上世彰率いる村上ファンドが動き始め、ライブドアの堀江貴文も参戦、大騒動になり、村上と堀江が逮捕される。この件にかんして著者は次のように総括している。
「フジテレビと産経新聞とライブドアは、買収騒動以前に幾重にも交錯し、激突あるいは利害共有、離反する経緯をたどった。あげくにライブドアのみが摘発されたが、両者は同じ穴の狢のようであった」
フジサンケイグループの内部で何が起きていたのか、を前作の続編の形で深くリポートしている。
550ページのぶ厚い記述は、公刊された本や内部資料と新たな取材に基づくものが多いが、著者自身が少しだけ顔をのぞかせるところがある。2007年、産経新聞の住田良能社長(当時)の自宅に朝がけし、会社まで同乗し社長室で取材する場面だ。同社が山口組企業舎弟と取引している件で質問した。産経新聞は印刷工場の更新などで600億円の調達をフジテレビの日枝久会長(当時)に要請するが断られていた。「住田は確信的に、危ない橋を渡ってでもカネを稼ごうとしたのではなかったか。産経新聞の経営は、かつてない苦境にあった」と書いている。フジテレビと産経新聞も決して一枚岩ではなかった。
ネットなど新たなメディアが台頭し、地上波テレビ局の影響力はしだいに低下している。しかし、部数減に苦しむ新聞を退け、いまだにメディアの「首座」にあることは間違いない。そのテレビ局で創業以来、何が起きてきたのか、メディアに関心のある人には一読を勧めたい。
なぜテレビ朝日を代表する看板ドラマ「相棒」が、テレビ朝日と東映の共同制作なのかなど、資本の論理がテレビ局をいかに支配しているかに気づくだろう。
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