コラムニストの小田嶋隆さんとクリエイティブディレクターの岡康道さんが2007年から「日経ビジネスオンライン」で続けている対談も早や12年。本書『人生の諸問題 五十路越え』(日経BP 発行、日経BPマーケティング 発売)は、その単行本第4弾である。
というような事情は、本書を読んで初めて知った。なんと言っても「人生の諸問題 五十路越え」というタイトルと、「50歳からの『悩まない生き方』」という帯に引かれて買ってしまった。
この両人、1956年生まれ、東京都立小石川高校(現・東京都立小石川中等教育学校)の同級生ということもあり、全体にゆるい雰囲気なのがいい。ジャーナリストの清野由美さんが聞き手というか合いの手を入れ進行するが、二人ともなかなか本論に入らず、発言は迂回に次ぐ迂回、どうでもいいようなディテールの開陳が続く。でも読み通すとそんなどうでもいいことが面白く、「神は細部に宿る」という誰かの言葉が納得できる。
50問題はさておき、本書の構成に従い、素直に彼らの高校時代、大学時代(両人とも早稲田大学)のエピソードから書き出そう。
小石川高校は旧制府立五中として設立された。大正デモクラシーの時代だから、制服も当時珍しいブレザー。自由な校風は二人が入った頃も生きていた。岡さんは「僕らが入った時は、実は東工大に一番受かる学校だったんですね。あと、小石川教養主義なんて言っていたんです」と話す。
既に学校群の時代。往年の進学実績はなかったはずだが、小田嶋さんも、「うちの生徒はみんな東大に行くんだから、高校時代には伸び伸びやりなさい」という名物教師の言葉を紹介する。受験教育ではなく建前としての教養主義を生徒は安易に「勉強しなくていいよ」という意味に解釈、二人は雀荘に入り浸る。
「俺はいずれ、東大に入って社会に出るんだろうな」と思っていた小田嶋さんは、高校2年生の時に気がついた。『勉強していないから成績が悪い、と思っていたけれど、もしかして俺、勉強しても東大に行けないのかもしれない......』
そして二人は早稲田大学に進学する。しかし、慶應へのライバル心、東京出身者の「踏み込まない感じ」と、地方出身者の「大学で人生リセット」の気合いのズレから、屈折した学生時代を送ったようだ。
小田嶋さんは、「早稲田に対しては卒業してから30数年の間、強い敵意を持っていて」と語る。地方出身者の「高下駄マッチョ」な雰囲気になじめなかったという。
それに対して岡さんは「ある種の理想郷だと思う」と母校への愛を語る。「旧帝大に行くほどではないにしても、いろいろな地方の秀才が、努力して行くことができ、勉学ができる」大学だったという。
そんなやりとりの中で、小田嶋さんは、津田大介さんが言った「早稲田はうざい、慶應はキモい」という言葉を挙げ、両校のカラーの違いに言及する。「早稲田は東京の西北側、および何となく下町風土、および労働者階級という感じがあるのよ」と言う。
いよいよ話題は仕事のことに。電通出身の岡さんは同社の労務問題にふれ、「皮肉なことに、電通自体は残業にかかっていた人件費が減り、一方で、売り上げ自体は減らなかった、利益はほぼ横ばい」と話す。「明日の朝イチまでに」というクライアントがいなくなり、「明後日の夕方ぐらいまで」と変わったという。残業をやめてみたら大丈夫だったということらしい。
そしていよいよ本題の50問題へ。岡さんは「男は50歳過ぎたら半分うつだ」という説を唱える。「サラリーマンというのは、50代が超つらいんですよ」。その理由はこうだ。
「なぜつらいかというと、会社人生の中で50代に入ると、ルールがよく分からないゲームが始まっちゃって、どうすれば勝つのか誰も分からないまま、勝ち負けがついていって、勝ったやつは役員になる。それで、負けたやつは、よく分からない」
小田嶋さんも「一言多いやつは出世しない」と結論を出す。そして「おっさんというのは、結局、猿山しか作れないから」と。「それって猿山の中でのお話ですよ」というのが五十路の諸問題への処方箋かもしれないという小田嶋さんの結語を聞いて、なんとなく50代をやり過ごした評者も納得した。
本欄では小田嶋さんが自身のアルコール依存症体験を綴った『上を向いてアルコール』(ミシマ社)も紹介済みだ。
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