食べ物のエッセイは難しいと思う。食べ物について、いい大人が云々するのは気恥ずかしいという旧来の価値観が世間にはまだ残っている。テレビが日々グルメ番組を流すようになってもそうである。共感を得にくいのだ。
さらにエッセイのうまい、下手が露骨にわかってしまう。朝日新聞の土曜別刷り「be」に「作家の口福」という連載がある。作家がだいたい月替わりで食にまつわるエッセイを書いている。この当たりはずれが目にあまる。
このジャンルは、池波正太郎をはじめとする数少ない名人のおはこと思った方がいい。
そんな先入観で本書『忘れない味』(講談社)をあまり期待せずに読んだら、存外面白かった。
編著者の平松洋子さんは、食文化や文芸を中心に執筆するエッセイスト。『買えない味』で第16回Bunkamuraドゥマゴ文学賞、『味なメニュー』、『あじフライを有楽町で』などの著書がある。
新旧27人の文章から平松さんが編んだアンソロジーで、人選の妙がある。林芙美子と町田康、鏑木清方と野見山暁治が並んでいる。
登場する食べ物、飲み物をざっと挙げると。
そば、白玉、白桃、三角の油揚入りうどん、半ラーメン、胡瓜、すいか、昼酒、馬鈴薯、珈琲、散らし寿司、社員食堂の昼ごはん、白いご飯、だまこ鍋、シカ肉、菊正宗、うな重、おむすび、温泉玉子......
おしなべて庶民の味が多いのも好ましい。
NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」に登場する古今亭志ん生について娘の美濃部美津子が「菊正をこよなく愛した」と題し書いている。「お父さんはそんなに大酒飲みではありませんでした。家にいるときは日本酒をコップに一杯か二杯がせいぜい」だったそうだ。倒れてからは、菊正宗の特級を薄めて飲ませていたという。「近頃の酒は水っぽくなったなぁ」とこぼした。「特級だと度数が高いから一級酒に変えたんだよ」とごまかした。でも末期の酒は薄めたりしない本当の菊正特級酒を出したという落語のような話を披露している。
『放浪記』の林芙美子からは「風琴と魚の町」。西日本の各地を親子3人で行商し旅した頃を芙美子が描写している。三角の油揚入りうどんのうまさ。「残ったうどんの汁に、湯をゆらゆらついで長いこと乳のように吸った」。
ミュージシャン、友川カズキは「眼と舌の転戦」。秋田の八郎潟に面した農村で育った幼少期の食べ物への追憶をつづっている。きりたんぽに似ただまこ鍋は、「鶏と醤油とセリの青臭さが混ざった何とも言えないいい香りがモワッと鼻を撫でるとね、もう酒なんか飲んでる場合じゃない。これはやっぱり白メシに合うんだな。米をおかずに米を食うってのも変ですけど、煮詰まったら煮詰まったでね、味が深くなってさらに美味い」。
思想家、吉本隆明の「梅色吐息」は、お粥に温泉玉子とトマトの薄切り、梅干しで主食と副食を一度に摂るという荒業に出た晩年の食卓を書いたもの。長女で漫画家のハルノ宵子が「最後の晩餐」と題し、その父の本当に最後の食事は「きつねどん兵衛」だった、と明かしているのがせつない。
冒頭書いた「気恥ずかしさ」について、山田太一の「食べることの羞恥」という一文が、亡くなった俳優・渥美清のこんなことばを紹介している。
「うまいもんがあると聞くと、捜してでも食いに行くなんて、なんか品がないよなあ」
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