若手の論客として活躍する評論家の荻上チキさんが新たにエッセイ集を出した。『みらいめがね』(暮しの手帖社)。イラストを人気絵本作家のヨシタケシンスケさんが担当している。雑誌「暮しの手帖」の連載を単行本にしたものだ。タイトルの「みらいめがね」は世界の見方を広げるツールだという。
年配の女性読者が多いと思われる「暮しの手帖」が、荻上さんのエッセイを連載していることにまず驚いた。読者層とちょっとテイストが違うのではないかと思ったからだ。ところが本書を読み始めて何となく謎が解けた気がした。
最初に出て来るのは「ディズニー」のヒロインの話。かつての「白雪姫」「シンデレラ」などの時代から、今日のディズニーのヒロインは大きくキャラクターを変えている、と分析する。「ステキな王子様と出会い、困難を乗り越えて二人は結ばれる」という定番ストーリーはもう古いというのだ。
「『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』といった作品に登場する新しいプリンセスたちは、白雪姫のように受け身な存在ではなくなった。自分というものを持ち、積極的に冒険にも出かけていく」「『リトル・マーメイド』の主人公、人魚姫のアリエルは、海の上の世界に憧れて家出をする。恋する相手も、必ずしもハンサムな王子とは限らない。『美女と野獣』のベルが恋する相手は、醜いけだものである・・・」
プリンセスそのものも変化し、「白人以外」が描かれるようになった。
「『アラジン』のジャスミンはアラブ系、『ポカホンタス』のポカホンタスはアメリカ先住民、『ムーラン』のムーランはアジア系、『プリンセスと魔法のキス』のティアナは黒人といった具合だ」
そしてテーマも変化してきた。「王子様との出会い」が明確に否定され、大ヒット作品「アナと雪の女王」で、ハンサムな王子は、国を乗っ取ろうとする悪役として描かれている。ヒット曲「レット・イット・ゴー」は、「親世代の価値観からの解放」をうたい上げたと位置づける。
「ディズニー」の変容の背景に何があるのか。エッセイということもあり、荻上さんは余りくどくどと説明していないが、「暮しの手帖」の賢い読者層なら、容易に推察できるだろう。なぜなら、「暮しの手帖」の女性読者は、「古いしきたり」に縛られつつ、「自分らしさ」を模索してきた人たちが多いと思われるからだ。「ディズニー」のヒロインの様変わりぶりを自分たちに関係する身近な話に置き換えて共感しながら体験的に読むことができる。つまり、そのような意味で、このエッセイは「暮しの手帖」の読者層にぴったりだなと思った次第。
ところで、「ディズニー」の変容ぶりには思い当たることがある。かつてアメリカ映画界の大物ヒットメーカーは大筋こう語っていたと記憶する。要するにアメリカ映画は、世界中のお客さんを念頭に置いている。世の中の動きに鈍感であってはアメリカ映画の製作はできないと。
実際のところ、米国映画には政治や社会問題などに関連した重いテーマの先鋭的な作品が少なくない。フェミニズムやLGBT、差別の問題にはとくに敏感だ、映画自体が今も1つのメディアとして機能し、何を世の中に訴えるべきか、考えながら製作されている。「ディズニー」のファンタジーも、そうした米国映画の枠の中にある。
上記の「ディズニー」の話が、本書では「女の子の生き方」という大きなテーマの中で語られているのも、そのような背景があると思われる。このほか本書では荻上さんの「うつ病」の話や、別居、離婚のことなど個人的な事柄も隠さずに出て来る。確かな読者層に向けて、著者自身が安心して書いているという感じが伝わるエッセイ集だ。
本欄では「暮しの手帖」の近刊『戦争が立っていた――戦中・戦後の暮しの記録 拾遺集 戦中編』なども紹介している。
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