ドリアン助川さんの『新宿の猫』(ポプラ社)は、何匹もの野良猫が表紙いっぱいにリアルに描かれている。猫が苦手な評者としては、手にとるのもはばかられたが、最初の数行を読んだだけですばらしい読書体験になる予感がした。独特な比喩表現が面白く、リズムが心地よく、夢中になって読んだ。もはや猫好き・嫌いは関係ない。心に残る小説を探している方に、ぜひ読んでいただきたい。
社会全体が浮ついていたバブルの時代。そんな世相とは対照的に、構成作家の卵であるボクは「迷路の壁にぶつかりながら歩いているような不器用な季節」を過ごしていた。ある夜、ボクは偶然入った新宿の居酒屋「花梨花」で、野良猫を可愛がる店員の夢ちゃんと出会った。
ボクは「色覚異常」のため、志望したテレビ局の就職試験を受けることさえできず、大学卒業後はバイト生活をしていた。バイト先で著名な構成作家と出会い、運よく弟子入りしたものの「ほんのゴミみたいな立場の構成作家」だった。
「花梨花」で飲んでいるときは、客の大半がボクと同じように「世間とのズレを感じさせる人たち」だったから、「ひりひりとした気分」から解放された。ボクは「花梨花」に通ううちに、夢ちゃんについてこう思うようになる。
「はっきりと言ってしまえば、世間からズレてしまった客を相手に毎晩奮闘している夢ちゃんこそが、もっともズレているように感じられることがしばしばあった。......だけどボクは......嫌悪を覚えたことはなかった。むしろ自分のなかに芽生え始めた感情は逆だったからこそ、困り始めていたのだ」
ボクと夢ちゃんの仲は、少しずつ深まっていく。ある夜、二人は新宿ゴールデン街のラブホテルの廃墟を上っていき、野良猫に囲まれるなか、夢ちゃんは施設で育ったこと、猫を家族だと思っていることを話した。そしてボク(山ちゃん)に言った。
「私、山ちゃんは......詩人になればいいと思ってました」
「山ちゃんの言葉がきらりと光るんです。だれか一人には、伝わる言葉」
「大勢の人に書くのじゃなくて、だれか一人の胸に迫るような言葉を生み出す人だと思うの」
二人は一緒に詩を書こうと約束したが、ある事件をきっかけに関係が唐突に断たれる。自然消滅かと思われたが、道を切り開いてくれた夢ちゃんをボクが忘れられるはずもなかった。四半世紀の歳月を経て、五十を越えたボクは夢ちゃんと再会する。
新宿の猫、ボクの仕事の悩み、夢ちゃんの生い立ち、居酒屋の個性的な客、人生を一変させる大事件、二人の再会と再出発。本書に詰め込まれたこれらはすべて、心にすんなり入ってくる言葉で描かれている。著者の文章はまさに、夢ちゃんがボクに言った「言葉がきらりと光る」がピッタリくる。
ドリアン助川さんは、1962年東京都生まれ。詩人・作家・道化師。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒。放送作家等を経て、90年「叫ぶ詩人の会」を結成。95年から2000年までラジオ深夜放送のパーソナリティを務め、人気を博す。小説『あん』は12言語で翻訳出版された。日本ペンクラブ理事。
巻末に「著者が若い頃、色弱を理由に就職試験の機会を奪われたこと。新宿のとある素敵な居酒屋の冷蔵庫に『猫の家族図』が貼られていたこと。これら二つの事実を除けば、この物語はフィクションです」と断りがあるが、他にも「構成作家」「詩」などの共通点があり、ボクに著者が投影されている気がした。
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