文学者とその娘と言えば、森鷗外と森茉莉、幸田露伴と幸田文、太宰治と津島佑子、太田治子、佐藤紅緑と佐藤愛子という父娘がすぐに思い浮かぶほど、日本では珍しくない。父と息子としては、福永武彦と池澤夏樹、広津柳浪と広津和郎などの例もあるが、父娘の方がポピュラーだろう。文学者の血は、より強く娘に流れるものなのだろうか。阿川弘之(1920-2015)さんと阿川佐和子さんもその例に加えてもいいと思う。
『報道特集』のキャスターや『ビートたけしのTVタックル』の進行役などテレビのイメージが強い阿川佐和子さんだが、二つの文学賞(『ウメ子』が坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』が島清恋愛文学賞)を受賞しているし、『聞く力』は2012年の年間ベストセラートップになるなど、近年ますます文筆家として名を上げている。
その阿川さんが16年に出した『強父論』が、このたび文庫化された。『強父論』は「恐怖論」とも「怖父論」とも読めるが、破天荒な父が佐和子さんを泣かした行状やことばの数々が赤裸々に綴られた前代未聞の追悼記だ。
まずは、その強烈な語録から引用しよう。
「勉強なんかするな。学校へ行くな」 「今後、誕生日会を禁止する」 「お前の名前はお墓から取った」 「のたれ死のうが女郎屋に行こうが勝手にしろ」 「朝日の手下になりやがって」 「老人ホームに入れたら自殺してやる」
弘之さんが夫婦でアメリカに留学中、2歳の佐和子さんは1年間広島の伯父宅に預けられた。弘之さんが帰国後もふたたび広島で暮らし始めたある日、見覚えのあるおじさんがやってきて、佐和子さんを連れ出した。「父との最初の思い出が恐怖とともに始まったことだけは、間違いない」と書いている。
一緒に暮らし始めた後も、弘之さんは家庭にあっては「暴君」で、静かにしていても「お前たちがそこにいるという、気配がうるさい!」と怒鳴り、家族で外食の後、外に出て「うわ、寒い」と佐和子さんが思わず叫んだだけでも「それが飯をごちそうになった親に吐く言葉か!」と激怒し、とりなした母を車から降ろし、置き去りにして発進したという。前半はだいたいこんな調子だから、読者もあきれるだろう。
転機になったのはテレビ番組のアシスタントになってからだ。短いエッセイ執筆の依頼が入った。その原稿を弘之さんは赤鉛筆で添削した。「ぜんぶ直していたら、俺の文章になってしまう。これくらいで目をつぶろう」。こうして文章指導が始まった。
文筆の仕事をするようになり、父娘の関係に変化が生まれたという。すぐに感情が激する父だが、文章にかんしては理詰めで穏やかに諭した父だった。テレビの仕事を始めて2年、31歳で家を出て独り暮らしを始めた。
追悼記は書かないようにという遺言を無視して、佐和子さんは本書を書いた。生涯で父が優しいと思ったのは、二回だけというが、そのうちの一回は「書けないときはしばらく書かないでいればいい。また書けるようになるさ」と恩師の志賀直哉をひいて慰めてくれたことだそうだ。
14年に優れた文化活動に贈られる菊池寛賞を受賞した佐和子さん。本書ではふれていないが、そのとき父はどんなことばをかけたのだろう。
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