著者の内藤さんは、国内では最もイスラム社会に通暁する一人だろう。1990年代から、トルコを中心にイスラム圏と西欧との価値観の隔たりにつて解説する著作を出してきた。「9.11」以降、世界は常に中東関連の事件で揺れ動いている。西欧の価値観を通したイスラム圏解説が主流を占める中で、中立かややイスラム寄りの立場からの見方が提供できる専門家として貴重な存在だ。
その内藤さんの最新の著作が本書『限界の現代史』(集英社新書)だ。サブタイトルに「イスラームが破壊する欺瞞の世界秩序」とある。破壊される欺瞞とは何なのか。破壊というと物騒だが、イスラムとの接触によって欺瞞で隠されていた西欧の本性があぶり出された、という指摘だ。その欺瞞とは、西欧諸国や日本がその価値を疑わない、リベラリズムなのだ。
シリア内戦で大量の難民がヨーロッパに避難した。欧州各国ではこれらイスラム教徒に対する不法移民排斥の動きが強まった。その動きを担っているのは、極右や偏狭な民族主義者ではなく、寛容を売り物にしてきたリベラル派だという。
この「リベラルの排外主義」の典型がオランダにあるとする。90年代までのオランダは、外国人労働者にも地方参政権を与えるほど外国人への差別がないことで知られていた。「多文化共存の一種の理想郷にすら見えた」ほどだそうだ。
ところが9.11をきっかけに一変。
「テロから4カ月でムスリムに対する暴力事件が60件近くも発生し、モスクへの放火やイスラムの小学校への投石が相次いだ。その後も悪化の一途を辿り、2018年6月には公共の場でのムスリム女性の被り物の一部を禁止する法律が通過した......さらに、ルッテ首相は(リベラル政党の党首だが、排外主義政党の勢力拡大を受け)17年の総選挙で、『握手を拒む人は出ていけ(ムスリム女性には配偶者や肉親以外との接触を禁じる戒律がある)』と言いだした」
この変貌ぶりは、多文化政策をとる英国や同化政策をとるフランス、ドイツなども同じだという。
これらの直接の原因は9.11にあったが、遠因は、他のイスラム通と同じく、そもそも英国を中心とする西欧の中東支配にあったとするのが、内藤さんの見方だ。イスラエル建国を認める第1次世界大戦末期の英国=ユダヤ人のバルフォア宣言、アラブ人独立を約したフセイン=マクマホン往復書簡、英・仏・ロによる中東分割を密約したサイクス=ピコ協定という3枚舌外交は有名だ。
追い詰められれば爆発する。欧州でのムスリムによるテロは、そうした差別や抑圧を背景に起きたという。では、対策はあるのか。
西欧の啓蒙主義による世界の近代化は通用しない。つまり限界にきている。内藤さんは、「敵対的共存」を築くほかないという。敵対的共存とは、人命の尊重を基本に置いて、自由など人権についての異なる考え方を認めた上で自らの利害を追求する関係を言う。
トルコとロシアの関係が、現代ではそれに当たる。両国は、ロシア戦闘機の撃墜や、外交官殺害といった緊張下でもライフラインの貿易を継続させた。この辺りの事情は、日本で伝えられるニュースからは理解しがたい側面だった気がする。イスラムと中国では、新疆ウイグルのトルコ系住民の民族問題がくすぶるが、折り合いを付けている。
日本では、外国人労働者の受け入れを拡大する改正出入国管理法が可決した。人手不足にあえぐ産業界からの要請での改正だが、問題は単純ではない。多分化政策をとるにせよ同化政策をとるにせよ、日本人の間に外国人差別は根強い。労働環境の劣悪な職場もある。これが続けば、手痛いしっぺ返しを招くだろう。
さらに、東南海・南海地震など大規模災害がいずれ起きる。関東大震災では民衆が在留外国人を襲撃した愚かな過ちもあった。それらを乗り越えるために、西欧での難民・不法移民政策の失敗から学ぶことはきっと多いはずだ。
内藤さんは東京大、同大学院で理学系地理を専攻。ダマスカス大留学などを経て89年から2010年まで一橋大教授、その後同志社大院の教授を務めている。著作に『イスラーム戦争の時代――暴力の連鎖をどう解くか』(NHKブックス)、 『イスラームから世界を見る』(ちくまプリマー新書)、『欧州・トルコ思索紀行』(人文書院)など多数。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?