倉阪鬼一郎さんと言えば、エッセイ『活字狂想曲 怪奇作家の長すぎた会社の日々』を読んで以来、畏敬の念を抱いている作家だ。文学を志しながら印刷会社の校正係として働き、日本の会社の不条理さを告発した本だった。その後、ミステリー、ホラー、幻想小説とジャンルを広げ、最近ではいくつもの時代小説のシリーズを文庫で発表する人気作家となり活躍している。
本書『怖い短歌』(幻冬舎新書)は、小説執筆のかたわら、俳句や短歌もよくするマルチな才能をもつ倉阪さんが、多くの歌集の中から「怖い短歌」を集めたアンソロジーだ。
以前、同じ趣向で『怖い俳句』を出したときに、「俳句は世界最短の詩です。 と同時に、世界最恐の文芸形式です」と書いたが、「俳句より言葉数が多くてより構築的な短歌ならではの怖さというのもまた、如実にあるはずです」と本書を編んだ理由を述べている。
怖ろしい風景、猟奇歌とその系譜、向こうから来るもの、死の影など9つに分類し、章を立てている。いくつか心に留まったものを紹介すると......。
腸詰に長い髪毛が交つてゐた ジツト考へて 喰つてしまった
日本三大奇書の一つとされる『ドクラ・マグラ』の作者・夢野久作(1889-1936)の『猟奇歌』から紹介している。恐ろしさからいえば最右翼として、こんな歌も。
闇の中を誰か 此方を向いて来る 近づいてみると 血ダラケの俺......
夢野久作は、『ドクラ・マグラ』の作中、マッド・サイエンティストのような医学部教授を登場させ、独自の脳理論を語らせた。その片鱗が見える歌も。
脳髄が二つ在つたらばと思ふ 考へてはならぬ 事を考へるため
幻想小説『死者の書』で知られる折口信夫(1887-1953)は、釈迢空と号した歌人でもあった。倉阪さんは、釈に幻妖怪奇な歌はほとんどなく、「ただ一首の例外の趣で、膨大な作品群の中にそびえ立っているのがこの謎めいた歌です」と、紹介しているのが次の歌だ。
基督の 真はだかにして血の肌(ハダヘ) 見つつわらへり。雪の中より
「雪の中より」の前の句点が、より怖ろしく感じられるという。
怪談実話の書き手である我妻俊樹(1968-)には、こんな歌がある。
バス停を並ぶものだと気づくのはいずれ人ばかりではあるまい
共著に『怪談短歌入門』がある石川美南(1980-)の歌は怪談の勘どころを押さえているという。
影くらゐ見たことはあるその影を怖々語り始めたばかり
ニューウェーブ短歌の旗手、加藤治郎(1959-)の歌は前衛的だ。
にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった
「ゑ」は釜飯の器をかたどり、笑みを浮かべる鶏の顔のようである。しかし、「ひどい戦争だった」でイメージは反転し、「鶏たちの悲鳴と苦悶の光景に変容する」という重層的な世界が盛り込まれている、と解釈する。
倉阪さんが引用した歌集の一覧が巻末に記されている。よくもまあ、と驚くほど多くの歌集が挙げられている。古典から現代短歌の代表作、21世紀に入っての若手の作品まで、その渉猟ぶりに頭が下がる。「恐ろしさ」の質は現代においてますます変化している。
牛乳パックの口を開けたもう死んでもいいというくらい完璧に 中澤系(1970-2009) 置き忘れられたコーラが地下道に底無し沼のやうに聳える 山田航(1983-)
個人の歌集はなかなか手に取りにくいという人は、こうしたアンソロジーから短歌にふれてみてはどうだろう。現代短歌の進化ぶりに驚くかもしれない。
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