テレビではここ何年もの間、毎日のように「街ブラ」番組があり、週末になるとブラブラする間にバスや列車の利用を挟み、エリアや時間が拡大したレギュラー企画、スペシャルものが並ぶ。本書『東京23区外さんぽ』(平凡社)は、そうしたブームを受けてのものともいえそうだが、散歩の達人とされるコラムニスト、泉麻人さんの街ブラは独特の嗅覚が発揮され、楽しい探検記集になっている。
東京都は、東側の約3分の1が特別区の23区からなる「区部」で、西側の約3分の2が、計30市町村がある「市町村部」。東京都下とも呼ばれたが、都の公文書から姿を消してからは使われなくなったようだ。泉さんは「都心方面を昔のレコードのA面とすれば」とたとえて、本書のテーマである23区外については「こちらはちょっとマニア好みのB面の魅力、といってもいいかもしれません」と述べる。
泉さんは1956年東京生まれ。「23区の西部地域」で育ち、23区外の「多摩方面には幼い頃から親しみがあった」という。「西武、小田急、京王線といった郊外電車に乗って出掛ける楽しい遊園地や昆虫採集地が存在するパラダイス」だったものだ。本書ででかけた旅は、時代を経ての変貌を目の当たりにする機会でもあったようだ。そんなタイムマシン的観察ができることも、探検記に厚みを加えているに違いない。
多摩地域、23区外の街で注目度ランクが高いエリアの一つに吉祥寺がある。各種調査やアンケートで「住みたい街」1位の常連であり、それは区部に隣接する武蔵野市にあるのも大きな理由だろう。泉さんは、テレビなどではしばしば取り上げられるコロッケ屋や和菓子屋を通り過ぎ、初めてこの街にきた1970年代半ばの面影を求めるが見当たらない。だが「当時、"若者の街ジョージタウン"なんていう恥ずかしいキャッチが伝播していた」ことを思い出す。
「その当時、吉祥寺には吉祥寺という寺がある...と思い込んでいたけれど」と泉さん。いまでも住人のなかでもそう思っている人はいそうだ。「吉祥寺」があったのは「水道橋(文京区)あたり」で、江戸時代に明暦の大火で焼け出された門前住人たちが移住したのが街の名前の由来という。寺は現在、文京区本駒込にあるそうだ。
こうした地名の由来は吉祥寺ばかりではなく、北隣の三鷹市でも「連雀」が同じような理由で名づけられたと述べられている。
その三鷹市では、こちらも名所となっているジブリ美術館はちょっと触れて通り過ぎ「ジブリファンにもウケそうな可愛らしい洋館」へ。「三角屋根、スクラッチタイルの壁、サンタさんが入ってきそうな煙突...」。作家・山本有三が「路傍の石」を書いた旧邸で、いまは記念館になっている。門前には、山本が見つけて運んできたという「路傍の石」が置かれているそうだ。
こうした探検が30市町村を通じて続く。八王子市では「ユ―ミン」こと、歌手の松任谷由実さんの実家「荒井呉服店」を目指し、隣の「シャレたカフェ」でエスプレッソソーダを味わい、「志村けんの木」を発見した東村山市では、地元の名産とされる「武蔵野うどん」をすする。
調布市では京王閣競輪を訪ね、かつては阪急・小林一三による宝塚遊園をイメージしたと思われる郊外遊園地だったことを紹介。同市ではさらに郷愁を求め角川大映撮影所に。こちらはかつては大映撮影所で、昭和40年代初めの特撮の人気者、ガメラのイラストや、大魔神の巨大像を眺める。本書では場所やエリアに応じて、映画や小説などとの接点を紹介している。
東京西部の多摩地域には霊園が少なくなく、泉さんは施設の案内などを頼りに著名人らの墓所を訪ねる。府中市の多磨霊園には「名誉霊域」があり、山本五十六、東郷平八郎、高橋是清ら、日本史に名を残す偉人の墓石が並ぶ。同園には北原白秋、菊池寛、田山花袋ら文人の墓も。看板などはなく見つけるのはけっこう難しいという。
小平市の小平霊園では、昭和の名優・佐分利信や、小説家・翻訳家の伊藤整のほか、昭和30年代に活躍した俳優・千葉信男の墓を見つけたというマニアックな報告も。「千葉信男は僕の幼少期に活躍した、いまでいう"デブタレント"の先駆け」であり、泉さんは相当親しみを感じていたように述べている。ほかに、八王子の大善寺では、「へビーな愛読者」でもあることから、同寺にあると聞いた松本清張の墓を探し出している。
「23区外」が持つ「マニア好みのB面の魅力」は、読了するとしみてくる。
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